つまり本を読むと〈優しい人間になれる〉のだと、國枝さんは言う。〈優しさは弱さではない。相手が何を考えているのか、考える力を「優しさ」というのです〉
「時々いますよね、腕はよくても患者の気持ちが全くわからない医者が(苦笑)。僕はそういう人をイイ医者とは思わないし、一止が誰の命も救えていないように、不眠不休で頑張っても亡くなる人は亡くなるし、取れない癌は取れない。その無力さこそ、僕らが日々直面している現実なんです」
〈國枝さんには國枝さんのために神様が書いたカルテってのが、もともとあるんだよ。そいつを書き換えることは、人間にはできない〉と大狸先生は言うが、医療や科学の万能性ばかりが注目される今こそ、人間の無力さから語り始める物語の必要性を、夏川氏は説く。
「僕が山や自然の描写から常に物語を書き始めるのも、人間なんて本当にちっぽけだから。元々実家は大阪の核家族で、故郷といった感覚がなく宗教的信仰もない。医療現場ではむしろ神の不在を感じ、親の年金欲しさに延命を望む息子とか、厭な諍いも数多く見ているので漱石が好きなのかも。暗部を露悪的に描く物語はもうお腹一杯だし、人間性への信頼を取り戻す物語を今一度書き直す時代が来てもいいと僕は思っています」
と、逃げではなく前進のために夏川氏は漱石を持ち歩き、〈困った人がいれば手を差し伸べるのが医療の基本〉と人間として言い切る一止ともども、明日の医療を考え続けるのである。
【著者プロフィール】夏川草介(なつかわ・そうすけ):1978年大阪府生まれ。信州大学医学部卒。内科医。現在も長野県内の一般病院に勤務。2009年『神様のカルテ』で第10回小学館文庫小説賞を受賞しデビュー。本屋大賞第2位となり、2010年『神様のカルテ2』、2012年『神様のカルテ3』と本作を合わせ311万部突破の大ベストセラーに。2011年には映画『神様のカルテ』(深川栄洋監督)が公開。一止を櫻井翔、ハルを宮崎あおいが好演し、2014年公開の『神様のカルテ2』共々大ヒット。168cm、57kg、A型。
(構成/橋本紀子)
※週刊ポスト2015年5月1日号