新倉さんによると、湿度が高い日本では、古くから公衆衛生の観点から「ごみは燃やす」という習慣があった。が、そのためか、1983年、『毒性の強いダイオキシン、ごみ焼却炉から検出』というセンセーショナルな報道後、国内が大混乱となり、焼却施設が運転できなくなるような事態が生まれた。その後、1997年、1999年のガイドラインの策定や法制度の整備によって、ダイオキシン類の発生量は劇的に減少し、話題にならなくなった。
変化といえば、可燃ごみ、不燃ごみの分別もそう。昔はプラスチックは焼却炉が傷むなどの理由から不燃ごみ扱いだったが、性能のいい焼却炉のおかげで、燃やせるようになった自治体が増えている。
それだけではない。焼却熱で発電しているごみ処理場では、カロリーが高いプラスチックは発電量を増やすためには歓迎なのだとか。
最近、「ごみの分別」の声が一時ほど大きくないのはそのせいか。ひところスーパーの出入り口にあった、プラスチックの食品トレイ入れもあまり見かけない。かといって、「食品トレイの回収はやめました」というお触れも出ない。
「それは地方自治体が今まで熱心に持ってきていた人に気を使っているのでしょう。スーパーのレジ袋の削減にしても、増え続けるマイバッグとどっちがムダか、賛否両論なんですよ」
ちなみに新倉さんは、カゴに新聞紙を敷いて生ごみを広げ、ふたのある通気性のよい容器に入れて自然乾燥させている。
「水分はごみ焼却の最大の敵で、これは不変です」
(取材・文/野原広子)
※女性セブン2015年12月10日号