並み居るアイドルのなかでも、なぜ、この2人だったのか。音楽プロデューサーの酒井政利さんは「聖子は幸福を演じ、明菜は孤独を演じていました。対照的な2人がいたから互いに触発し合い、時代の流れを色濃くしたのだと思う」と言う。
聖子は1980年に『裸足の季節』でデビュー後、『青い珊瑚礁』『SWEET MEMORIES』などをヒットさせ、街には聖子ちゃんカットがあふれた。今も当時の彼女の歌は、カラオケで人気だ。色あせない魅力は、まず声。前出の田家さんによると「青春とはこういうことなんだと気づかせる」伸びやかな声が、歌詞にマッチした。聖子の初期の歌の多くの歌詞は、松本隆が手がけている。
「松本さんの詞は、叙情詩です。詞からは情景が浮かび、そこに物語が見えてくる。歌詞がまるで一緒のドラマのようなのです」(田家さん)
だから今でも、熱心に聴いていた当時の空気をリアルに、瞬時に思い出せるのだ。
それを表現しきる力が、聖子にはあった。彼女を発掘したプロデューサーの若松宗雄さんは「彼女は感受性が強くて表現力が豊か。勘の良さも天才的でした」と、惚れ込んだ理由を明かす。「新曲でも、2、3回聴かせると『大体わかりました』と言って、歌える。すぐにこちらを『そうそう、それそれ』と納得させるレベルでした」と話す。
アイドルとして全盛を極めた聖子は、郷ひろみ(60才)との恋愛や、神田正輝(65才)との結婚そして離婚など、スキャンダルでも注目されながら、松田聖子という人生を切り開いた。
その聖子と何かと比べられていたのが、明菜だ。聖子がデビューした翌年の1981年、『スター誕生!』(日本テレビ)を勝ち抜いて、1982年に『スローモーション』でデビューした。
デビュー当時をよく知る明菜の元プロデューサー・小田洋雄さんは「表現力がずば抜けていて、聴いている方は鳥肌が立つくらいでした。それから、振り付けや衣装も自分で決めたがった。自分流でやろうとしていました」と話す。
演じるように歌う明菜は多くのファンの心をつかみ、1985年の『ミ・アモーレ』、1986年の『DESIRE-情熱-』で2年連続して日本レコード大賞を受賞した。どちらも明菜の代表曲だが、歌っているときのヘアスタイルもメイクもまったく違う。その変貌ぶりは、明菜のセルフプロデュース力を強く印象づけるものだった。
※女性セブン2016年6月9・16日号