三雲さんは最初は同期でもっとも売れていなかったのだが、『3時に会いましょう』や『ジャスト』などの午後ワイドにより主婦のハートを掴んだ。知的であり、ちょっとミーハーでもあって、セレブ感もあって、コンサバで…。昔もいまも、主婦ウケが抜群なのである。
オジサマ人気も高く、夕方のニュースがあの小林麻耶になるとき、「前任の三雲さんはM3(50歳以上の男性)の数字をももっていたのに、それが麻耶ちゃんに代わっちゃったら、3層(F=女性も含む)は他局に流れてしまうだろう」と多くの局員が心配していた。結果はそのとおりで、人気バラエティー番組の枠移動をして小林麻耶のニュースをスタートしたTBSは、それから暗黒時代ともいうべき視聴率の低迷期間が続いたものである。
そんな“三雲さんのようなOG”と言われて、正直、私は「雨宮塔子」の名前は浮かばなかった。タイプがもっとも近いのはわかる。だが、彼女はパリ在住だ。人気パティシエの青木定治氏と離婚後もパリで二人のお子さんを懸命に育てているのを知っていたからである。
もともと彼女は、結婚してパリに行ったのではない。TBS退社後、遊学のためパリに渡り、その後、青木氏と知り合い結婚したのである。
彼女のパリ・ライフはセレブな女性誌でたびたび取り上げられた。長身で、モード系の服もコンサバ系の服もよく似合った雨宮塔子は、ファッションモデルのように誌面に登場していたものだ。
似たタイプに、元フジテレビの中村江里子アナがいた。彼女は夫もファッション関係だったこともあり、雨宮塔子よりはアパレル寄りだった。しかし、雨宮塔子はそこに文化の香りがただよっており、しかも夫は新進気鋭の人気パティシエだった。
同じくパリで当時、結婚生活を送っていた中山美穂が、『パティスリー・サダハルアオキ・パリ』でケーキを買っている…といったエピソードが聞かれたこともある。TBSの人気アナウンサーだった雨宮塔子の知名度が、日本での夫の知名度をアップさせたことは間違いないだろう。
そんな彼女のパリでの日常は、セレブな女性誌から特に持てはやされたし、好きな美術への知識を活かしたスペシャル番組のナビゲーターとしての仕事は、キャスターとしての彼女の“お値段”を上昇させたものである。
とにかく同年代の女性読者や視聴者からの好感度は抜群で、オシャレ度もインテリ度も、三雲さんよりさらに洗練されていたのは確か。
「そりゃあ、塔子ちゃんなら最高ですけれど、パリに居るんですよね? お子さんの学校のこともあるから、東京でレギュラー番組をもつことはできないんじゃないですか?」と私はその男性スタッフに問うてみた。