「個人的な信用度の高さはテレビに出ている比じゃないんです。災害時には、『この人の言うことは確かなことなんだ。その人の言う通りにしよう』というのがとても大事ですけど、そういった信用度はテレビではなかなか生まれてこない。(中略)町で僕に『見てます』と声をかけてくる人と、『聴いてます』という人とでは、人柄がぜんぜん違うの。ラジオのリスナーだとそばにすっと近寄りながら、(小声でささやくように)『聴いてます』…。心得てる」と。「シャイでつつましい」(『続々と経験を盗め』より)とも表現しておられた。
そんな永さんとリスナーさんとの関係を象徴するようなことも私は経験している。ずいぶん前、永さんの『土曜ワイド』にゲストで呼んでもらったとき、前週、私の名前が告知された途端、リスナーのみなさんが私の著書を買いに書店に走ってくださり、その感想を元に、翌週、番組にたくさんの応援メッセージをくださったことだ。
永さん御自身、本当に筆まめでいらして、「御礼状が書けない忙しさは“恥ずかしい忙しさ”です」と常々言っておられた。本当に耳が痛いお言葉だったが、私は御礼状はもちろん、御礼のメールさえも送れなかったとき、「いまの私の忙しさは恥ずかしい忙しさなのだ」と猛省している。
永さんはこうも言っておられた。ラジオを手放さないタレントは「生き延びていく。つまり人気の上に実力もある」と。そんな中にもラジオを卒業してしまった人もいるが、明石家さんまさんはいまでもラジオを楽しそうにやっているし、上沼恵美子さんもそう。話芸に秀でた人たちはみな、大物になっても確かにラジオを手放さない。
「出版社にもテレビにもできないことを、個人的なつながりをもとに、ラジオはしやすいですね」(『続々と経験を盗め』より。以下「」内は同)
「古い言葉で言うと、ラジオは『一期一会』だよね。ラジオの場合、何十年も続いている番組だと、毎日聴いているわけじゃなくても、『まだやってる』という安心感が(リスナーに)あるようです」
「(ラジオでは)相手の声が高ければこっちは低く出るし、相手が低かったら高くする、というバランスのとり方をしなくちゃいけない。同時に話していても(リスナーが)聞き分けられるようにね。これ、ラジオでしておかなくちゃいけない最低限のことだと思います」
「活字よりラジオ、テレビよりラジオじゃなくていい。色々なメディアの中からこの時はラジオ、というふうに趣味の一つに選んでくれればいいんですね」
「ラジオが家のどこにあって、電池が入っているか確認しておく。それだけでもいいんです」
永六輔さんが愛し、愛されたラジオは、アイドル番組や声優さんがパーソナリティーをつとめる深夜番組などをきっかけに、昨今、若いリスナーを微増させている。
永さんはこうも付け加えた。「五感は聴覚に始まって、聴覚で終わる。最後まで残るわけです」。
永六輔さんの御冥福を心よりお祈り申し上げます。