◆母の認知症と兄の自殺
インターネット検索で見た写真のジャネットと、実物には違いがなかった。
「はじめまして、ジャネットです」
米女優ジェーン・フォンダを思わせるこの60、70年代風の髪型は、71歳の現在も変えていないようだった。挨拶をする際の目線にしろ、両手を持って会釈するしぐさなどから、「とても謙虚なおばあちゃん」という印象を受けた。
目元と口元に大きな皺を見せ、ジャネットは、16年前に起きた出来事について、すぐさま話し始めた。
「当時、私が抱えていたものは、痛みではなかった。あれは、恐怖でしたわ。ホワイトフォード外科医には、治療をするように勧められていましたが、私は生きる望みを捨てていたのよ」
55歳だったジャネットが「生きる望みを捨てた」のは、その数年前に起きた出来事と無関係ではなかった。彼女の母親(当時88歳)は、その頃、認知症を患っており、老人ホームで生活を送っていた。すでに、ジャネットの名前も、家族との思い出も記憶になかったという。
不幸は重なるというが、母親が毎日世話をしてきた知的障害を持った兄・ジェイムス・ホール(当時58歳)が、庭先で首つり自殺を図り、他界する悲劇も訪れたのだった。
癌を宣告されたジャネットは、施設にいる母親に向かってこう言った。
「お母さん、私はもうあなたの世話をする余裕がなくなったわ」
これを耳にした母親は、悲し気な表情を浮かべ、娘に向かって言い返した。
「ジャネット、私はお前が子供の頃、ずっと世話をしてきたんだよ」
これが、母親が最後に口にした娘の名前「ジャネット」だったという。以後、母親の認知症は進み、娘を判別できなくなった。
彼女は、自分がどれだけ自分勝手な生き方をしているのかを恥じた。アメリカでは、老人が認知症にかかると、子供たちが彼らを老人ホームに送ることが一般化し、「肉親の介護は体力消耗に繋がると考えられている」と言う。
「今の若い人たちは、年老いた両親や老人に対する敬意を失い始めてはいないでしょうか。病気になったら、彼らを老人ホームに送ってしまえばいいというような方向に、私たちは進んでいるような気がしてなりませんわ」
私はふと思う。これまでの取材では、家族に焦点を当てた話がなかったな、と。なぜ、家族の「絆」らしき会話を耳にしなかったのだろうか。16年前に癌を乗り越えた彼女だが、それ以前は尊厳死法に賛同していたと明かす。
「知人の女性が膵臓癌を患っていた時、彼女の癌が身体中に転移していって苦しむ姿を見ていたからです。このまま行けば、私も彼女と同じ経過を辿ると思っていたのよ。それに、私にはもう家族と呼べる人がいなかった」