ラモナは、サンペドロによって完璧に考えられた「完全安楽死マニュアル」とでも言うべきものをもとに、シナリオ通りの犯行に取りかかる。まずは手袋をはめる。次には、ある友人を通して、手渡された「シアン化カリウム(青酸カリ)」をグラスの中に溶かす。

 そして、ベッドの前に8ミリビデオカメラを設置し、音を立てないように身を隠した。ラモナは、これからカメラに向かって話すサンペドロに、一切口を挟んではならない。そして、彼が永遠の眠りに就いた直後、接吻することも禁じられていた。彼女はそこにいなかったというアリバイを作るためだ。

 裁判官、政治家、宗教家の先生方、あなたがたにとって、尊厳とは何を意味するのでしょうか。あなたがたが、どんな意識を持たれようとも、私にとって、これが尊厳のある生き方だとは思えません。今日、私は、最低でも尊厳を持って死のうと思います。

 長年の苦悩を語り終えた彼は、ベッドの横に置かれたグラスのストローに唇を添えた。透明の液体を一気に吸う。数秒後、体内で反応が起きる。

「はー、来たぞ。熱い! うーっ」

 事前に指示を受けていた致死薬ではあったが、死に至るまでの時間は、約30分。簡単に逝くことはできなかった。目の前で苦しむサンペドロを見つめるラモナは、見るに耐えかね、カメラに姿が映らないように四つん這いになり、トイレに駆け込んだ。便器に腰を下ろしてかがみ込み、両手で耳を覆った。

 この状況を振り返るラモナは、突然、無意識的に両手の指で額の汗を拭うような仕草をし、「ひどかったわ、すごくひどかったわ。すごく長かったのよ」と、うつろな目をして、私に言った。

「もし、あんなにひどい死に方になることを知っていたら、私は引き受けなかったかもしれないわ」

 サンペドロの苦しむ声が消えると、トイレを出て彼の様子を見に行く。確かに、彼は息を引き取っていた。これで、すべてが終わった。彼の願いが叶ったのだ、とラモナは涙を流した。

 遺体となったサンペドロをベッドに残し、電話をかけ、彼の友人を呼ぶ。これも指示通りの行動だった。

「ラモナが処罰されることだけは、決して避けなければならない」

 サンペドロに協力した友人たちは、この彼の言葉に徹した。弁護士は、取り調べや公判において、彼女に黙秘権の行使を命じた。アリバイ工作が成就し、ガリシア地方裁判所の公判で「証拠不十分」となり、有罪判決を免れた。

 彼女が自殺を手伝ったことは明らかだった。この国では、それは犯罪を意味する。しかし判決が確定する頃には、すでにテレビや自伝の出版で、安楽死に対する国民的意識は高まっていた。むしろ英雄的視線が注がれることさえあった。だが、彼の家族は違う。

「彼をボイロに連れてきたあの時から、もう20年近く、彼の家族とは口をきいていないのよ。彼らにとって、私は人殺しですからね。でも後悔の念はないわ。本当にその人を愛するのであれば、その人にとっての幸せを叶えてあげなければならないでしょ」

 そこで、私はこう訊く。安楽死に反対してきた家族は、あなたの処置によって愛する肉親を失った。それは家族の悲しみとして刻まれるのではないか。

 ラモナは、さらりと答えた。「それって、家族のエゴじゃないかしら」

●みやした・よういち/1976年、長野県生まれ。米ウエスト・バージニア州立大学外国語学部を卒業。スペイン・バルセロナ大学大学院で国際論とジャーナリズム修士号を取得。主な著書に『卵子探しています 世界の不妊・生殖医療現場を訪ねて』など。

※SAPIO2016年12月号

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