ちなみにこれらの写真は、喜美子さんにとっては、あくまで余興。本格的な風景写真やデジタルアートが得意で、熊本県内のコンクールでは4年連続賞を獲得している。82才のときには『熊本県立美術館分館』で初めての個展も開いた。この夏には写真集『ひとりじゃなかよ』(飛鳥新社)も発売。握手会は行列ができるほどの人気で、同世代の高齢者をはじめ、若者にもファンが多く、その様子は『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日系)などでも取り上げられた。
いったいどういう女性なのか? 何を考えているのか? あの写真を撮る人の生活はどんなものなのか? たくさんの疑問を抱え、熊本へ取材に向かった。
ピンクの杖をつきながら歩く喜美子さん。もともと150cmなかったという身長は、腰が曲がっているためますます小柄に。現在骨粗鬆症で要介護2の認定も受けている。
喜美子さんが生まれたのは1928年、南米ブラジル。両親が農業指導のために渡ったブラジルで、7人きょうだいの次女として誕生し、8才のときに家族で帰国した。以来、熊本に住んでいる。女学校、美容学校を卒業後、自宅の敷地内で美容院を始める。しかし、競輪選手となった2人の弟が全国巡業をしている姿に憧れ、美容院をたたみ、競輪学校でA級ライセンスを取得、22才で女子競輪選手となる。数多くのレースを経験したのち、税務署職員をしていた1才年上の夫・西本斎さんと出会い、27才の時に結婚。それを機に競輪選手を引退した。
その後、和民さんをはじめ3人の子供を授かり、子育ての間にパートタイマーなどをして家計を支え、前述のとおり、72才のときにカメラと出合った。
「それまでは家事と子育てにずっと一生懸命でしたから、その年まで趣味というのもなかったんです。主人に尽くし、子供のことを考えていたら、自分から何かをしたいと思ったことはなかったんです」(喜美子さん、以下「」内同)
一方の夫は昔からカメラなど機械いじりが大好きだった。しかし写真の話を喜美子さんにすることもなかった。