──本書の著者は「かんにん」という言葉を例に、東京の男は「京女」に「かんにんね」と言われると、単なる謝罪の言葉とは受け取らず、そこにセクシュアルな含みを(勝手に)感じ取り、喜ぶと書いています。
中村:男の人は面白いですなあ(笑)。にっこり笑いながら「おおきに」と言われると喜びはる人もいますしね(笑)。京都弁のイントネーションの柔らかさがお好きなんでしょうかねえ。私は結婚して嵐山に住んだあと、32歳のとき主人ひとりを残し、2人の子供をインターナショナルスクールに入れるために母子3人で横浜に引っ越しましたけれど、京都弁がなかなか抜けませんでした。「言葉に関しては玉緒ほど強情な女はいない」と主人によく言われましたよ。
ただ、典型的な京都弁と思われている「そうどすなあ」などと言うときの「どす」という言葉は花街の女性や女将さんが使うもので、一般の女性はまず使いません。
──ご自分のことを「京女」らしいと思いますか。もしそうだとすれば、どういうところがですか。
中村:私の母は典型的な「京女」だったと思います。贅沢はしないし、我慢強いし、いろいろなことに耐えていましたから。もしかしたらそれは、歌舞伎役者の嫁としての特徴でもあるのかもしれませんが。その意味では私も同じ。主人はいろいろと浮気をしていましたけれど、私は耐えましたね(笑)。その「耐える女」というのは「京女」のひとつの姿だと思いますよ。「耐える」ことに耐えられるんです。