現場協議制度とは、労使間で問題が起きた時に、それぞれの現場で協議の上、対処するというもの。問題はその決定が制度として効力を発揮したために、駅長らは日々部下からつるし上げに遭い、現場は荒れた。
「現場団交権を意味するこの文言をねじ込んだのが、国労の諸葛孔明こと細井宗一で、以来、国鉄は組合側に人事権すら握られ、車内での内ゲバやサボタージュが横行するなど、異常事態に突入していきます。
私も執行部と労務を両方経験しましたが、労使交渉は9勝6敗の論理と言って、会社か組合どちらかが全勝してもダメなんです。特に国労・動労といえば全国50万人の国鉄マンを束ねる一大勢力でした。だからその後磯崎叡(いそざき・さとし)第6代総裁が掲げた〈生産性向上運動〉と事後処理の失敗でさらに混迷を深めた国鉄をめぐっては、組合潰しと分割・民営化が同義語になっていきます」
細井は田中角栄の陸軍での上官にあたり、〈俺は戦争が嫌いだ〉と言って規律を破る角栄を何かと目にかけ、戦後は代議士となった彼にも〈田中君いますか〉の一言で会える間柄だった。
「共に新潟出身で大正7年生まれの彼らが肝胆相照らす仲だったことは国労では周知の事実でした。ところが角栄の元番記者ですら細井との関係は初耳らしい。のちに総評事務局長も務めた国労のドン・富塚三夫にしても、彼は社会党系、細井は共産系で、立場は微妙に違う。
その2人が堅い友情で結ばれていたことは、昨年亡くなった富塚からも聞いてます。あの時代の人間関係には右も左もないというか、セクトもイデオロギーも超えて広く人民救済をめざす志のようなものを感じてならないんです」