◆東芝は世界の現実から目を逸らしたのか…
その後、2008年にリーマンショックが起こり、世界の経済は縮こまる。決定打は、2011年3月11日に発生した東日本大震災だ。「安全」と言われた福島第一原発が津波により全電源喪失。メルトダウンという深刻な事故を起こした。原子力エネルギーの未来は、明らかに行き詰まったのだ。にもかかわらず、日本政府と東芝は、こうした現実とは隔絶した別の世界にいるようだ。
第二次安倍政権はアベノミクスの三本の矢として、金融緩和、財政出動、成長戦略を打ち出した。金融緩和と財政出動によって、表面だけの株価の上昇を無理やりつくり出したが、目標設定のインフレ2%は、金融緩和を繰り返しても達成できない。
成長戦略としては、新幹線や原発など、設計から製造、完成後の運営、メンテナンスまでを含めたパッケージ型インフラ輸出をメインに打ち出した。三本の矢のうち、いちばん遅れをとっているため、なんとしても経産省は推し進めたかったのだろう。
『東芝 原子力敗戦』(大西康之著、文藝春秋)は、東芝が崩壊していく原因に切り込んだ、大変おもしろい本だ。著者が入手した東芝のビジネスダイアリーを紹介しているが、東芝の原子力事業部門の社員と、経産省資源エネルギー庁の次長だった今井尚哉氏が頻回に会っている記述が登場する。今井氏は、その後、首相秘書官となり、モリカケ問題のときに、よく名前を聞いたあの人物である。「安倍の懐刀」とか、「影の総理」と言われている。
ともあれ東芝は、国のお墨付きを得て、原子力部門に力を入れていく。西田社長は「2015年までに世界で原発33基を売る」と明言。さらに次の佐々木社長も「2015年までに39基」と目標設定を上げた。しかし、現実は8基売れただけである。絵にかいた餅もいいところだ。33基も、39基も、現実からはじき出した計算ではなく、なかば精神論に近い。6600億円も出したのだから、これだけ売らなければならないということに過ぎない。第二の失敗は忖度過剰適応に陥ったことだ。