そして小池。都政1年で何の実績もないまま「希望の党」の代表として国政進出を図った。が、小泉時代の「無党派層を味方にすれば風が吹く」という古い選挙地図に固執して墓穴を掘った。小池は「テレビの接触時間が増えれば等比級数的に無党派層からの支持が増えていく」という小泉時代の再来を狙ったが、10年前と比べて有権者の「目と耳と舌」は肥え、BPOを気にしてマスメディアは平等な放送を心掛けるようになった。
テレビ露出=無党派からの支持という図式は消えた。マスメディアに引っ張られる中産階級を「B層」と呼称する向きもあるが、最早そのようなラベリングは通用しない。「敵」を作ることにより劇場に燃料を投下するという小泉方式の踏襲も有権者の失望を増大させた。豊洲問題で病身の石原慎太郎元都知事を証人喚問したことで、保守層は一斉に小池から離反した。
結果、小池はあれだけ大騒ぎした豊洲問題に何の結論も出さなかった。小池塾、というやたらと意識高い系が好きそうな私塾を開設したが、そこに集ったのはどう考えても政治家に向かない素人の烏合であった。
小池は自立している女性を演出しているが、実際の政治手法は小泉を踏襲した古いスタイルの古典派で、都議会議員選挙で「都F」(都民ファーストの会)が大勝したのは小池の政治力ではなく創価学会の助力によるものである。それを自らの政治センスであると勘違いした小池のオウンゴールは、まさしく「改革」とは程遠い旧態依然とした卑屈な「女性性」のトレースである。
選挙戦の終盤、都内で小池の駆け付けた応援演説を聞きに行った。台風が接近していて聴衆は雨傘を片手に持つ。「希望の党の主張に賛成するという皆さんは、傘を上下に振って下さい!」という小池の金切り声に反応したのは高齢の男性だけで、聴衆は拍手すらない無反応を貫いた。