横文字を連発して中身のないマス露出だけを計算した小池の虚無を、「目と耳と舌」が肥えた有権者は冷徹に見抜いている。
私が唯一、これと思うのは野田聖子だ。26歳で岐阜県議会議員当選(1987年)を経て1993年初当選(衆)。図らずも1992年参議院比例で日本新党から政界入りした小池と国政デビューは重なるが、その「厚み」は全く違う。野田は流産を経て長年不妊治療に取り組んでいた。困苦を経て2011年、長男を出産したのが実に野田50歳のとき。
筆舌に尽くしがたい野田の妊娠・出産録『生まれた命にありがとう』(新潮社)には、読むも涙の壮絶な苦闘が綴られている。野田の政治家としての根幹は「生命」「人権」「多様性」。2005年郵政選挙では小泉に造反し、「抵抗勢力」に認定されたが挫けなかった。私は性を超えて、政治家・野田聖子を尊敬する。
最後に台湾初の女性総統、蔡英文の自伝を引用する。「台湾は改革を必要としています。改革ができないのであれば、リーダーの怠慢です。もしリーダーが権力だけに固執してしまったなら、改革は中途半端なものになってしまうでしょう。このような時代に、この国家をさらに良くするためには、力を結集し、既存勢力と戦うことになっても覚悟を決め、絶対にあきらめてはいけないのです」(『蔡英文 新時代の台湾へ』白水社)。
一見小池と似たような改革の決意が披歴されている。が、脈動する台湾学生運動と蔡を見るにつけ、小池の矮小性は際立つ。
●ふるや・つねひら/1982年北海道生まれ。立命館大学文学部卒業。主な著書に『左翼も右翼もウソばかり』『草食系のための対米自立論』『「意識高い系」の研究』など。
※SAPIO 2017年11・12月号