◆球速なんかどうでもよかった
ドラフトであの松井秀喜とも評価を二分した伊藤は京都出身。少年野球チームでは誰も彼の球を捕れず、花園高校時代は甲子園には縁がなかったものの、社会人3年目に先輩の永田晋一からスライダーを学んだことで才能が開花。バルセロナ五輪では3試合に先発して3勝し、奪三振27は、今も破られていない国際記録だ。こうして評価を高めた伊藤はプロ入りし、巨額の契約金を手にするが、面白いのは〈毎月、十数万円で生活していた人間ですから〉という金銭感覚だ。
「フツウに食べていければいいという元会社員らしい感覚はコーチを辞めた今もブレていないし、彼は一切ゲンを担がないんですよ。だったら1回でもダンベルを上げた方が自分にはお守りだと考える、いい意味の合理主義者。結果的に1993年7月以降を棒に振り、1996年に復活を遂げてからも右肩に3度もメスを入れていますが、そんな状況でも自ら設定したゴールまでの道筋を現実的に考えられる、クレバーさがあるんです」
そうした人間性を例えば古田は、〈執着する潔さ〉と表現。常人が期待しがちな葛藤や苦悩すら表に出さず、年俸88%ダウンを呑んでまで現役復帰に拘る潔さだ。
「つらいとか悔しいという言葉を引き出そうとしても、本人が悲壮感ゼロなんですよ。それこそ僕も彼に関して、『栄華を極めた人間の不運な転落劇』的な世間の目を感じていて、その点も聞いてみたら、彼は『えっ、俺ってそう思われてるの? 世間ってそんなにイジワルなの?』って(笑い)。
取材では合計約30時間テープを回し、毎回取材後は飲みに行ったんですけど、僕は彼が事ある毎に『俺はラッキーやから』と言うことに気が付いた。それからは悲運の男の自己評価はむしろ幸運だったという価値観の逆転に意識が移り、その点は古田さんにも『お、わかってるねえ』と褒めていただきました」