◆時代の波頭を察知するのは普通の人
〈謙虚が美徳〉の向こうを張った養生訓は、世間体を気にして怒ることすらできない全ての現代人に有効だ。しかし怒るには相手が必要で、誰も取り合わなければ人を孤独に追い込むばかり。それがどれほど〈危ういことか、年寄りも、若い人も考えようとしない〉〈叱られ役になるのはたいへんな労り〉と、氏は新しい敬老論から老人の役割、人間の可能性について再び考える。
「つまり新しい人間主義というかな。仮に生産現場がAIに取って代わられたとして、それでも人間にしかできないことは何なのか。逆に我々は人間の人間性について問い直されてもいる。案外僕は今こそ老人の出番じゃないかと思うよ。今までは体力的に現場を退いていた年寄りが、AIを使う側で長年の経験を生かすとかね。その手の知恵は最も数値化しにくい分野だし。
ついでに言うと、今後注目したいのは幼児教育。子供を親以外のプロが育てることは『考える』ことが特に必要。どこまでが人間でないとできないのかが見直されると思うなあ」
と、外山氏の思考は自著もそっちのけに先へ先へとゆく。なぜそこまで常識や定説に囚われずにいられるのか、最後に訊いてみた。