◆過去の教訓は生かせるのか
ここで直近の危機である「第2次核危機」の流れを簡単におさらいしたい。「第2次核危機」は、2003年1月に北朝鮮が核拡散防止条約(NPT)からの脱退を表明し、核開発を継続する姿勢を明確にした時から始まっている。
当時の米国の大統領はジョージ・W・ブッシュ(子)、韓国の大統領は金大中(キム・デジュン)と盧武鉉(ノ・ムヒョン)だった。この2人の韓国大統領は、現在の文在寅大統領と同様に北朝鮮との対話を推進し、南北首脳会談を実現させた。金大中大統領はその功績でノーベル平和賞を受賞している。
NPTからの脱退を表明したことで、「第1次核危機」の終結となった「米朝枠組み合意」(1994年10月21日調印)は完全に崩壊したのだが、2003年8月27日から北朝鮮の核問題を協議するために、日本、アメリカ、中国、ロシア、韓国、北朝鮮で構成する「6者協議」が開始された。
2005年9月13日に開催された第4回6者協議では、6 者協議で初の合意文書となる「共同声明」が発表された。この中で、北朝鮮はすべての核兵器と既存の核計画の放棄を行うこと、核拡散防止条約(NPT)及び国際原子力機関(IAEA)などの保障措置に早期に復帰することを約束し、アメリカは北朝鮮に攻撃や侵略を行う意図を有しないことを確認した。
6者協議が進行している間、韓国は食糧と肥料、日本とアメリカは食糧の支援を行った。しかし、北朝鮮は「約束」を守ることなく、2006年7月5日に7発もの弾道ミサイルを連続発射し、同年10月9日に1度目の地下核実験を実施した。
前代未聞の弾道ミサイルの連続発射と核実験の強行という最悪の事態になったにもかかわらず6者協議は継続され、2007年2月13日に核放棄プロセスに合意し、重油や食糧の支援が行われた。さらにアメリカは、2007年12月20日と2008年2月6日に北朝鮮に対するエネルギー支援予算を計上した。
しかし北朝鮮は、アメリカからの援助を得た後、2009年5月25日に2度目の核実験を実施、さらに同年7月4日(アメリカの独立記念日)に再び7発の弾道ミサイルを発射した。こうして北朝鮮は「危機」を乗り越え、現在に至っている。