たしかに『月9』と言えば、『東京ラブストーリー』『101回目のプロポーズ』(ともに1991年)、『ロングバケーション』(1996年)など恋愛ドラマのイメージが強いが、1987年のドラマ枠スタート当初は決してそんなことはなかった。芸能記者が話す。
「当時はマスコミ業界を題材にする、いわゆる“ギョーカイドラマ”ばかりでした。1作目は岸本加世子の『アナウンサーぷっつん物語』でしたし、その後も田原俊彦と野村宏伸の『ラジオびんびん物語』やとんねるずの『ギョーカイ君が行く!』などが続きました。本格的な恋愛路線は1988年1~3月期の『君の瞳をタイホする!』(陣内孝則、浅野ゆう子など)が起源になります。ただし、この後恋愛ドラマが続くわけではありませんでした」
1988、89年は「榎本!」「せんぱ~い!」という田原と野村のコンビが話題を呼んだ『教師びんびん物語』が大ヒット。最終回で『月9』初の視聴率30%越えを果たした『教師びんびん物語II』の次に始まった1989年7~9月期の恋愛ドラマ『同・級・生』(安田成美、緒形直人)は全話平均視聴率14.5%と伸びず、まだ『月9=恋愛モノ』というイメージは確立されていなかった。前出のテレビ局関係者が指摘する。
「テレビに限らない話かもしれませんが、スタッフが『~らしさ』『~らしくない』と言い出し始めると、番組は良くない方向に行きがちです。実際、『極悪がんぼ』のあとは『月9らしい恋愛モノ』が多くなっていますが、数字はさらに悪くなっている。『月9らしさ』にこだわっている間は、視聴率を回復させるのは難しいのではないでしょうか。スタッフはどうしても目先の視聴率を欲しくなる。上層部が『長い目で見るから好きにやれ』と言ってくれると心強いと思います」
始まりは決して恋愛ドラマではなかった『月9』。“らしさ”の呪縛からの解放が復活への第一歩かもしれない。