「小学生のとき、『第3回アメリカ横断ウルトラクイズ』を見て次々にクイズに正解してゆく大人たちの格好よさに憧れて、いつか自分も出場したいと思うようになりました。だからいざ自分が『ウルトラクイズ』の舞台に立ったときは感慨深かったです。だけどそこでの戦いは壮絶で、途中、ドミニカ共和国ステージで最後に私と対戦相手の競り合いになったとき、相手の早押しハットが先に立ったんです。あのときもうダメだ、と思った瞬間に頭の中でこれまでの記憶が駆け巡ったことを鮮明に覚えています。そんな激戦を経て優勝したのは22才のとき。以降、クイズ王と呼ばれるようになりました。例えるなら五輪に出てメダリストになったのと近い感覚です」
クイズ王たちによって、クイズ番組の“地位”が高まると、「出演して答えられないとイメージが悪くなるから」と出演拒否していた芸能人も出演するようになる。
「はらたいらさんに3000点」でおなじみとなった大橋巨泉司会の国民的番組『クイズダービー』(TBS系・1976~1992年)にレギュラー出演していた女優の長山藍子(76才)はそのはしりだった。
「女優としてのキャリアは積んできましたが、バラエティーへの出演は初めてでした。最初はなかなか正解できなかったから不安でした。ファンからも『長山さん、全然当たらないですけど大丈夫なんですか?』と聞かれたこともありました。だけど一緒に出演していた篠沢秀夫学習院大学教授の『クイズの結果と頭の良し悪しは関係ないということをぼくが証明している』というユーモアたっぷりのお言葉に励まされました」
以降、石坂浩二が出演した『世界まるごとHOWマッチ』(TBS系・1983~1990年)など芸能人参加型のクイズ番組が増えてゆく。
「芸能人の参加に伴い、クイズの内容も、頭の良さや知識を競うものから発想力や瞬発力を問うものに変化し、バラエティー色が強まった」(前出・木村氏)
その中でも、当時芸能人たちがこぞって出演したがった伝説のクイズ番組がある。
常時30%近い視聴率を記録した『マジカル頭脳パワー!!』(日本テレビ系・1990~1999年)だ。名物クイズとなった「マジカルバナナ」は流行語になるほど、老若男女問わず、誰もが夢中になった。
司会を務めた板東英二(78才)が振り返る。
「1つの単語から次の単語を連想する『マジカルバナナ』ほか、番組オリジナルのクイズはどれもリズムとテンポを大事にしていました。5才の子供でも理解できる非常に単純なクイズだった半面、頭の柔らかさや発想力がないとうまく解答できない。だから、東大卒の政治評論家である俵孝太郎が正解できない問題をタレントの所ジョージが易々と答えられることもあった。人はそれぞれ違う個性や発想があることがクイズを通してわかるというのも、受け入れられた点だと思います」
※女性セブン2018年5月31日号