とはいえ、韓国の高級紙である朝鮮日報も今年に入ってから、南北会談などを大きく取り上げる一方で、こっそり「不況・廃業により三か月で32万人が職を失った」「韓国国民がついに経済を心配しだした」などと報じ始めている。大卒者の就職率は依然として7割を切り、全体の失業者数も増えている。仕事があったとしても低賃金重労働。日本でいうところのブラック企業が増加し、国民の不満が溜まらないほうがおかしい状況が長らく続いている。
思えばこの二~三年、平昌冬季五輪や大統領選挙、そして南北会談と国民にとってのお祭りがずっと続いてきた。そうした熱狂に「水を差すな」という暗黙の了解というか、無言の圧力は我が国にも存在する文化ではある。だが、歴史的な善きことがおこなわれるのだから、苦しい思いを我慢して当然という無言の圧力だけでなく、韓国国民が現実を直視したくない、もしくはすべきではないという雰囲気を、これらの「お祭り」が後押ししたような格好にさえ見える。
「そもそも日本で仕事をする、日本に行きたい、ということをあまり声高に表明できない。田舎に行くほどそう感じます。(かつて韓国を蹂躙した)日本で稼ぎたいなんて何事か、というわけです。でも若い人たちはみな、韓国に限界を感じている。日本行きを検討している友人は一人ではありません」
冬季五輪の成功も、南北会談の開催も確かに「歴史的」であり、韓国国民の力を世界に見せつける偉業であったことは事実だ。しかしながら、韓国が「歴史的」で、かつ絶望的な経済状況に追い込まれていることもまた事実ではないのか。お祭りの雰囲気に「騙されるな」とまでは言えないが、誰にも本音を漏らすことなく、熱狂に沸く母国をひっそりあとにしようとする韓国の若者の気持ちが、あまりに軽視されすぎているような気がしてならない。