中曽根氏は潔く切った。旧制静岡高校時代からの友人で、有力な後援者だった殖産住宅相互社創業者の東郷民安氏が会社の上場で得た資金を中曽根氏の総裁選のために提供し、のちに巨額脱税で立件された事件(殖産住宅事件・1973年)があった。中曽根氏は国会で東郷氏を一切かばうことなく、最高裁で有罪が確定した後、「個人的には東郷君は気の毒だ」といってのけた。
政界を揺るがせたリクルート事件では、中曽根内閣の官房長官を務め、「将来の総理・総裁」とみられていた藤波孝生氏のクビを差し出した。“後ろ楯”に見放された藤波氏は収賄で立件され、自民党を離党せざるを得なくなった。藤波氏の秘書だった松木謙公・代議士が振り返る。
「藤波さんは中曽根政権時代の問題を全部1人でかぶらされたようなものでした。私が藤波先生に『誰かをかばっても仕方がない』というと、当時はロッキード事件で田中角栄さんが逮捕された後だったこともあり、先生は『韓国をみてごらん。政権が変わる度に前大統領が逮捕されている。日本もそういう国だって思われるのは嫌だよなぁ』と身代わりになった」
政治学者の後房雄・名古屋大学大学院法学研究科教授が指摘する。
「中曽根さんは権力を守るためには非情に徹した。いわば泣いて馬謖(ばしょく)を斬ることでケジメをつけ、政治の場面転換を図る。善悪は別にして、プロ政治家のやり方です」
比べて安倍首相は身内に甘く政治に私情を持ち込む。