「ひとつは経済との関係で、経済に活気があると人々のエロスへの欲求も高まります。90年代初頭、すでにバブルは崩壊していましたが、それでも後の長い停滞期より勢いがありました」
長い間抑圧されてきたヘアの表現が、ようやく解禁された開放感も熱気に拍車をかけた。
「もうひとつ、1980年代に女性の社会進出が進み、自己表現への欲求が高まっていたことも大きいですね。ヘアヌードがその欲求を実現する手段のひとつになったのです」(飯沢氏)
当時の新聞、雑誌は女優、タレントだけでなく、自己表現として自分の裸を撮影してもらいたいと願う素人女性が激増したと報じている。1992年に『an・an』が、篠山紀信氏撮影という条件で読者モデルを募集したところ、なんと1626人が応募したという。
その後、2000年代以降もヘアヌード写真集は出版され続け、マタニティヌードを披露した歌手hitomi、新聞に全面広告を打ったバレリーナ草刈民代、映画の公式写真集で脱いだ壇蜜など、そのときどきに話題となったものも少なくない。
だが、黄金時代だった1990年代に比べるとインパクトは小さいと言わざるを得ない。2000年代以降にネットが本格的に普及し、事実上表現に規制がなくなったことで新たな表現を獲得したときの開放感もなくなり、長期間に及ぶ経済の停滞によって日本人の性的なエネルギーも低下・分散してしまった。
来年5月に改元を控えた今、平成の30年を振り返り、日本社会の変容の行方を占ううえで、ヘアヌードブームは欠かせない「事件」だったと言えるだろう。
※週刊ポスト2018年8月17・24日号