故郷の美しさと同時に、早坂さんが次世代に伝えるべく尽力したのは、戦争の悲惨さだった。
終戦を迎えたのは海軍兵学校に在学中の16才のとき。実家に帰る途中、原爆投下により廃墟と化した広島市内を目の当たりにした。
「何ひとつ残っていない廃墟の中に何百、何千という無数の青く小さな火が燃えていた。折からの雨で死体から流れ出たリンが燃えているんです。ショックでした。地球が終わるときはこんな光景なのではないかと思いました。そんな中、どこからかかすかに聞こえてきた赤ん坊の声。死と隣り合わせのこんな状況で、新しい命が生まれている。いつかこのことを書かなくてはと思い続けていました」
そう語っていた早坂さんは、ドラマ『夢千代日記』の他にも、映画『きけ、わだつみの声 Last Friends』では特攻隊として命を落とした大学生の叫びを伝えるなど、作品に平和への祈りを込めていた。
「今、8月6日や9日、15日が何の日なのか知らない子供が増えていると聞きます。それは知ろうとしないのが悪いのではなく、私たちが伝えきれていないのでしょう。早坂も、二度と戦争を起こしてはいけないという思いが強かった。『人がいちばん学ばなければならないことは、どうやって助け合い、どうやって分かち合うかということです』という言葉には、平和への祈りが込められていると思います」(由起子さん)
◆早坂さんのように、人の心に突き刺さる文章を書く仕事をしたい
メッセージを受け取った北条北中学校の松浦英樹先生が言う。
「中学生は、人とかかわることが増え、自分と人との距離感に悩んだり、劣等感を感じたりする多感な時期です。そんな“ゆらぎ”の中にいる子供たちにとって、早坂さんの言葉は非常に思いやりのあるものでした。このメッセージに心動かされたたくさんの生徒がお礼の手紙を書きました」
妻の由起子さんは手紙を受け取ったときの夫の表情が脳裏に焼きついているという。
「子供たちからの手紙というのは、とても新鮮だったのだと思います。消しゴムで何度も消しては書き直した跡もあり、“おお!”と声を上げながら、手紙に目を通していました(笑い)。大好きだった駅伝のように、自分が投げかけた言葉を中学生にしっかりと受け取ってもらえたのが嬉しかったのでしょう。会って言葉を交わすことができていたらもっと喜んだと思います」
しかしメッセージを書いた2か月後の12月16日、早坂さんは腹部大動脈瘤で急逝。
「外出先で町に飾られていたクリスマスツリーを見上げて『きれいだねえ』と言って数歩進んだら突然パタンと倒れて…抱きかかえた私の腕の中で、そのまま帰らぬ人になりました」(由起子さん)