本書でも海外文学やSF映画を思わせる非日本的で壮大な世界観が印象的だが、震災後、世界から何らかの象徴のように言及されることの増えた故郷はどう映るのか。
「もともと日本のことも福島のことも、ふだん意識せずに暮らしていました。それが震災で意識せざるをえなくなりました。無力感や怒り、悼む気持ちなどがあるのはいうまでもないことです。ただ、そういう当たり前のものとして自然にある感情をあえて意識しなければいけないような今の状況は、やはりまだ平常ではないんだなという気がします」
謎の化学物質が動植物を巨大化させ、巨大リス=〈キョリス〉が言葉を話したり車を運転したりする世界は、おそらく未来においても現実的ではない。だが、残念な老スパイの眼を借りて見えてくるのは、さまざまな問題をかかえた今そのもの。誤解や偏見、おもいこみなどに端を発する騒動は、街全体を巻きこむ暴動になりながらも、〈やいのやいの〉とコミカルに描写される。
彼は言う。〈なんなんだこれは〉〈やいのやいのと騒いだ結果、いつだってむちゃくちゃになるのだ〉〈ふざけているのかと怒鳴りたくなったが、人間なんてみんなふざけているのだ。いつもふざけていないような顔をしてごまかしているだけで、ほんとうは生まれてから死ぬまでひとりのこらずふざけているのだ〉
「ただ面白いことを書きたいだけで、なにかテーマが先にあって書いているわけではないです。読んでくれる人に、楽しい気持ちになってほしいだけで。ふだんとりとめなく考えていることが、テーマみたいに見えてしまうのかもしれません。彼みたいにぼんやりしている人って、そうでない人が見逃すようなことに気づいたりすることもあるんじゃないかな、とか──」