今回、私は鈴木啓さんから仙之助と仙太郎を結ぶ新資料を入手した。
元年者のひとり、吉田勝三郎が1904年に新聞に語った「吉田勝三郎実歴談」の中に、リーダーの牧野富三郎が〈大変に落魄して神奈川神風楼といふ遊女屋の見世を預かっていたが〉との記述があるのだ。
神風楼は、仙之助の実家である。ならば、富三郎は、以前から仙之助を知っていたことになる。鈴木さんは言う。
「吉田勝三郎は、記憶力の確かな人だったそうです。元年者のことは勝爺さんに聞け、とも言われていました。彼の記憶は正確だと思うんですよ。もしかしたら、富三郎は、仙之助がすでにハワイにいるとわかっていて、合流するつもりで、募集に応じたのかもしれません」
勝三郎は、仙太郎の年齢を20歳内外としているが、遊郭の経営者の養子で、早くから大人の服装をし、早熟だったとするなら、年齢が少し上に見えたとしても不思議はない。
だが、最大の謎は名前の違いである。これについて、鈴木さんは、ひとつの仮説を唱えた。
「仙之助も旅券など持っていない密航だったと考えられます。そうであれば、わざと身元がわからないようにしたのではないでしょうか」
そういえば、富三郎が日本に出した手紙で、到着してすぐの報告には、先にふれたように仙太郎は〈神奈川の産〉としているが、数ヶ月後の手紙には同じく仙太郎のことを〈漂流之者にて江戸出生の〉としている。これも疑問に思ったが、身元をあえてわからないようにした、という理由ならば、納得できる。