しかしこの発言は政策決定にまったく影響を与えず、単なる天皇の「ご感想」に終わってしまう。もっとも当時の御前会議は、天皇は臨席するが発言はしないのが慣例だった。立憲君主制の主旨からすれば、たとえ天皇の発言があっても、決定に影響を与えない「感想」として扱われたのである。
ところが同じ御前会議の発言でも、二・二六事件に次ぐ「第2の例外」となった終戦の聖断はどうだったか。ポツダム宣言の受諾について最高戦争指導会議のメンバー6人の意見が賛否半々に割れたとき、首相の鈴木貫太郎は「陛下のご意見をお聞かせください」と願いでた。
それに対して昭和天皇は「外務大臣の意見に賛成する」と答え、ポツダム宣言受諾を主張する東郷茂徳外相を支持したわけだが、これも法的にはやはり「感想」にすぎない。しかし日米開戦前の御前会議とは違い、こちらは政策決定に直接の影響を与えた。誰も異議は唱えず、結果的に「御聖断」となったのである。
開戦時も終戦時も、天皇の意向に不満を持つ者は少なからずいた。たとえば開戦前の御前会議で天皇が外交重視だとわかったときは、陸軍の強硬派だった作戦課長の服部卓四郎が「陛下のお気持ちを変えていただくために参謀総長は毎日でも参内すべき」などと言っている。
終戦の聖断に対しても、徹底抗戦を主張する若手の将校グループが宮中占拠事件を起こし、玉音放送の録音盤を奪取しようと試みた。「承詔必謹(しょうしょうひっきん。陛下の命令は必ず従え)」と建前を言いながら、本音では、自分の考えと違う天皇の言葉には従おうとしない。戦前のエリートたちは、天皇の言葉を都合よく使い分けていたのである。
【PROFILE】秦郁彦●1932年、山口県生まれ。東京大学法学部卒業。現代史家として慰安婦強制連行説や南京事件20万人説などを調査により覆す。著作に『昭和天皇五つの決断』『慰安婦問題の決算』『実証史学への道』など。
●取材・構成/岡田仁志(フリーライター)
※SAPIO2018年9・10月号