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2018.10.27 07:00  女性セブン

目黒女児虐待死事件、近所や会社での評判が良かった継父

「あの事件が起こってから、いろいろな人に『彼女は昔から暴力的な傾向があったのではないか』『虐待の現場を見たんじゃないか』と聞かれるのですが、高校のときは、リーダーシップがあって、学級委員も引き受けるようなしっかりした真面目で優しい子。1、2を争うくらい厳しい部活のソフトボール部に入って、朝早くから夜遅くまで練習していた姿が印象に残っています」

 優里が結愛ちゃんを身ごもったのは、高校を卒業したばかりの19才のとき。前夫との子供だった。優里を昔から知る地元の知人が言う。

「妊娠がわかったとき、『あまりにも若すぎる』と親戚中から反対されたそうです。だけど優里さんは産むことを決意した。実際生まれてみるとものすごくかわいい女の子で、みんな『産んでよかったね』と祝福して…。若くして出産したから、精神が不安定になることもたまにあったみたいですが、保健師さんのフォローを受けながら、頑張って育てていました」

 前夫と離婚後も子煩悩な様子を見せていた。

「前の旦那さんと別れたあとに会ったときも、『仕事がんばってるんよ、子供を養わないといけないん!』と張り切っていた。夜、飲食店で働いていたみたいです。その頃には、高校時代みたいに頻繁には会うことができなくなってしまったけれど、Facebookでよく投稿を見ていました。報道では、ずっと虐待していたように言われていましたが、更新するのはいつも結愛ちゃんのことでした」(前出・優里の同級生)

 同級生や知人から見た優里の育ちは何不自由ないものだった。実家との関係も良好で、近隣住民は週末のたび実家で楽しそうに過ごす結愛ちゃんと優里を見ている。優里が雄大と出会い、結愛ちゃんと3人で善通寺市のアパートに住み始めたのは2015年の11月。結愛ちゃんが3才になる年だった。

 高校時代を北海道で過ごしたという雄大は、東京の帝京大学を卒業した後、ケーブルテレビの会社に就職。2016年4月に優里との結婚を機に、香川に転居。冷凍食品会社に就職した。

 当初は雄大も「素敵なパパ」だと認識されていた。3人が暮らしていたアパートの近隣住民が振り返る。 

「お父さんが品川ナンバーのバイクを運転していたことをよく覚えています。さすが、東京から来た人はハイカラだなと…。だけど決して派手な人ではなく、礼儀正しくてきちんと挨拶するうえ、地元のお祭りの準備にも積極的に参加してくれる“できたパパ”。まだ自転車に乗れなかった結愛ちゃんと一緒に、練習する楽しそうな様子もよく見かけました」

 雄大の会社の同僚も、「船戸くんの印象がどうしても虐待と結びつかない」と言う。

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