橘:安倍さんが辞めたら、“安倍ロス”が来るんじゃないですか。攻撃の対象が消えてしまうから。同じように朝日新聞がなくなれば、叩く対象がなくなって“朝日ロス”がやってくるでしょう。実際、右翼・保守派は民主党(民進党)がなくなって“民主党ロス”に苦しんでますよね。一部の雑誌に見られるような「朝日」への異様なバッシングも、ほかに叩く相手がいなくなってしまったという「喪失感」が背景にあると思います。
中川:あり得ますよね。「反アベ」って団結の良い旗印なんでしょう。デモだってその仲間と出会える場所。これを言うと、「お前はデモにも来てないで、闘ってもないくせに安全な外野から冷笑しやがって、オレ達は闘ってるんだ!」と叩かれる。「闘ってる」っていつまで革命ごっこやってるんだよ、って話ですよ。チェ・ゲバラに憧れ過ぎです。
橘:世代論はあまり好きじゃないですが、それをやってるのって団塊の世代の全共闘の人たちですよね。私は全共闘の下の世代で、「お前たちは安保闘争も体験しないで、『なんとなくクリスタル』みたいな薄っぺらい商業主義丸出しの本を読んで喜んでいるだけだ」とさんざん言われたから、正直、あの人たちと一緒にされたくないっていうのはすごくありますね。もちろん日本は自由な社会だから、国会前で青春時代を追体験したいならどうぞお好きに、ということです。でも私はやりません。
中川:私は橘さんより10歳以上年下ですが、私が通っていた大学には、当時活動家が6人くらいいたと記憶しています。学生数は学部全体では4000人くらいなんですけど、その6人が学校中のビラのそれなりの割合を作っている。しかも、ゲバ文字の建て看をよく作っていた。中身は覚えていないけど、基本的には反政権・反天皇だったと思います。彼らは国旗を掲揚するのを阻止する運動をしたりとか、旗を掲げる屋上に至る階段のところで座り込みをしたりするんですよ。それに対して、そんなのやらないでいいじゃんというのが、当時の我々、全共闘世代の2周り以上下の感覚です。日章旗と天皇を侵略の象徴とはもう捉えていないんですよ。
橘:左翼的な人が嫌われるのは、中途半端に頭が良いから、自分の正しさをロジカルに説明しようとしてどんどん過激化していくからですね。大学時代、社会科学系のサークルに所属していたこともあって、革マル派の(元)学生たちがたまにオルグに来たので、つるし上げのグロテスクさというのは経験的に知っています。右翼は心情でつながっているので、「君とは考え方がちがっていてもウマが合うから友だち」みたいな、わりと緩いところがありますよね。それに対して極左は、相手を徹底的にロジックで追い詰めたうえで、「あなたが100%正しく、私が100%間違っていた。これからはすべてあなたに従います」と土下座しない限り許さないみたいな、そういう原理主義の恐ろしさがあります。