北原さんが指摘するように、自己責任という言葉は近年ますます攻撃性を帯びている。
日本社会における自己責任論の起源はどこにあるのか。
「その兆しは、江戸時代にうかがえます」
と指摘するのは、著書に『貧困と自己責任の近世日本史』(人文書院)がある奈良大学文学部教授の木下光生さんだ。
「江戸時代は、わずかな武士などを除くほとんどの人が農業を中心とした自営業で、“自分のことは自分で行う”という意識や慣行が根づいていました。もちろん当時は『自己責任』という言葉は存在しなかったでしょうが、作物づくりに失敗した農家が、“自分の責任だ。村には迷惑をかけられない”という恥の意識にさいなまれて、夜逃げするケースなどがありました」
ただし、現在と大きく異なる点もある。それは、自己責任が村による「救済」とセットだったことだ。
「貧しくて年貢が納められない農民がいれば、村が肩代わりするなどして救済していました。けがや病気、天候不順などでの失敗(不作)のリスクは、すべての村人に隣り合わせのことであり、“困った時は、お互いさま”という意識も強かった。
その代わり、助けられた農民は物見遊山などのぜいたくが禁じられたり、村に名前を張り出されるといった社会的制裁を受けた。自営業者としての縦のラインと、村という横のつながりがセットになって、相互扶助を行うシステムが機能していたんです」(木下さん)
戦後になると、村などの地域共同体は次々と消失した。
「それとともに農業を中心とした自営業者は減り続け、サラリーマンを中心とした賃金労働者が大半を占めるようになりました。誰かに雇われる立場にあるということは自立度もリスクも低くなる。同時に、江戸時代のように村などの共同体が個人を救済する横のつながりが希薄になっていき、結果として、トラブルが起きても“自分のことは自分で行い、他人を頼らない”という自己責任ばかりに重きを置く社会になったのです」(木下さん)
※女性セブン2018年12月13日号