一体、どんな経緯で改名をしてきたのか。当時の記事を振り返ってみよう。ミレニアムの2000年を迎える2か月前、スポーツ紙がこう伝えている。
〈せんだ光雄→「二千田光雄」“独断”ミレニアム改名宣言もマネジャーが反対〉(スポーツニッポン・1999年11月10日)
当時、NHK時代劇『スキッと一心太助』に出演中で、年明けには蜷川幸雄演出の舞台『唐版 滝の白糸』が控えていた。取材で突然、改名を明かしたせんだにマネジャーが猛反対。役者としての仕事を抱えていることを考えれば、自然な反応と言える。結果的に、せんだ光雄から千田光雄への変更で話が落ち着いた。
しかし、3か月後、驚愕の記事が掲載された。
〈2000年にちなみ、同時に「せんだ光雄」から「二千田光雄」に改名するつもりだったが、周囲の猛反対に遭い、名字を漢字にするだけであきらめたタレントの千田光雄(52)が、あらためて年内は呼称を「二千田」で通すことにした。(中略)所属事務所は「もう止める気はありません」とあきれて!?いる〉(スポーツニッポン・2000年2月25日)
“二千田光雄”の名はミレニアムの年限りで終了。芸名を元の“せんだみつお”に戻した翌年、せんだは慎吾ママの『おっはー』をアレンジした『ナッハー』というギャグを発表。当時、坂本九のカバーとしてヒットしていたウルフルズやRe:Japanの『明日があるさ』に便乗して『明日がないさ』を発売。精力的に活動するも、不発に終わった。
芸能生活50周年を迎えた2009年には、“せんだ”の文字を外す大英断に出る。6月21日、BS11の『恐縮です!梨元勝です!』で「7月8日のナハ!の日から1年の期間限定で改名します」と宣言し、“浦島みつお”の芸名を発表。忘れられている自分の存在を思い出してほしいという意味を込め、再起を図った。