「今も、先生の声が聞こえることがあんねん。『あまちゃん、それはイカンよ。みっともないよ』と、ね」
天野が先生と呼ぶのは勝新太郎である。菅谷の組長付として常に同行していた頃、映画『無宿』(1974年公開、高倉健と初共演の道中もの)を撮影中の勝が、菅谷に「(天野に)会いたい」と伝言を託したのが最初だった。
「何を気に入ってくれたのかは知らんねん。何かいい印象があったんでっしゃろ。ボディガードというんではなく、ただ『側におれ』と。以降、わしの女房も可愛がってくれて、家族ぐるみの付き合いが始まった」
天野がしきりに口にするのは「所作」という言葉。ふるまいや身のこなしのことだが、天野の場合、そこにもう少し「人としての生き方」も含ませている。ヤクザというより人間としての所作。それを、一芸を極めた9歳年上の勝が学ばせてくれた。だから「先生」であり、兄である。
「わしが親しくしていた銀座のクラブママの母親が亡くなった時、わしが葬式を仕切ったんや。そうそうたるメンバーが来てくれて、先生にも来て欲しかった。自慢というか、見てもらいたかったんやね。でも、そういう時、先生は無視する。『あまちゃん、みっともない』という感覚やろうね。それでいて、その数か月後にあったわしの母親の一周忌には、朝から来て、ものも言わんと家族席に座ってる。そういう所作のできる人なんや」
天野だけでなく夫人も可愛がっていた勝は、夫婦喧嘩をしているのを気に病み、色紙を贈ってくれたこともあった。
「先生の娘さんの結婚式に出席した時やった。先生が用意してくれた色紙が『月』。ふたりで手を取り合って、極楽まで一緒に行くように、という意味やと解釈したんやけどね。仲良うしいや、と。家に飾ってあります」