天才肌の勝は、作品作りで妥協はしない。予算も台本も、あってないようなもの。こだわり抜いて作るから赤字になる。勝プロダクションの倒産も囁かれ出した頃、起死回生の作品が舞い込んできた。黒澤明監督の『影武者』(1980年公開)である。
「先生のところに、黒澤監督がやってきて、(影武者の)衣装合わせをしたんや。その後、先生が『あまちゃん、天下の黒澤が、わしにたばこの火をつけてくれたよ』と。その時、先生に“驕り”を感じ、大丈夫かな、と思った」
予感は的中する。クランクイン直後の1979年7月、勝が自分の演技を確認するため撮影所にビデオカメラを持ち込むと、黒澤は「演技は自分に任せてくれ」と、ビデオ撮影を拒否し、それがきっかけで降板に至る(代役は仲代達矢)。
◆勝新とラブホに三日三晩
『影武者』降板の影響もあって、勝プロの業績悪化に歯止めはかからず、1981年9月、負債総額12億円で倒産する。債権者とマスコミの目を逃れるために、勝は大阪で身を潜めた。付き添ったのは天野である。
「とにかく身を隠せ、というので大阪のラブホテルで、三日三晩、先生につきあった。将棋を指したりテレビを見たり。でも、着替えなどを取りに家に帰ったところをスポーツ紙の記者に見つかった。わしを張ってれば先生に行き着くと思った記者が、自宅周辺にいた。(ホテルまでつけられて)『ここに勝さん、おるでしょう』と。それで逃れられんと思った先生は、わしの車で東京に戻って、記者会見に応じたんや」
「あまちゃん」「先生」と呼び合う二人の関係に、利害得失や金銭が絡んだことはない。が、倒産整理はヤクザの得意技である。