この時代の在日の母親たちは、家族のために必死に生きていました。私の母親はドブロク(密造酒)を作って、その収入で一家を支えていた。警察に摘発され、ドブロクの瓶を割られても、めげずにまた作るのです。
〈貧しさと差別の中で、毎日のように刃傷沙汰が起きていた。通報してもなかなか警察が来てくれない。そんな土地であった〉
“ややこしい家庭”も多く、日々社会の底を見ながら育ったんです。在日朝鮮人作家・梁石日の『血と骨』ではありませんが、家の中も外も修羅場だらけでした。もちろん真面目に生きている者もいましたが、ごんたくれ(わんぱく坊主)の私の周りに集まるのは不良ばかり。後年、いわゆる同和や極道といわれる人々と自然に交流ができたのは、こんな環境が素地になっていたのだと思います。
◆「大人のかくれんぼ」の2年間
〈許氏の人生には、その後も在日の宿命が立ちはだかる。「日本の宝石王」と呼ばれ政財官界に隠然たる力を持った大谷貴義、画商にして第2次岸内閣で内閣官房長官秘書官を務めた福本邦雄、「京都の怪人」と呼ばれた山段芳春など、数多の大物フィクサーの知己を得て政財界へと活動範囲を広げていった許氏だが、その人脈の裏には多くの在日がおり、またそこには常に差別の目があったと語る〉
どの世界にいても、自分の出自を意識しなかったことはありません。戦後の日本と重ねて在日の歴史を俯瞰したとき、生まれ育った環境ゆえに、裏の世界に行く者、あるいは表と裏の狭間に身を置かざるを得なかった者が多かった。私の人生もそうした在日と数多く交わりました。
ただし、その全てが仲間意識に支えられていたわけではない。狭い在日の世界では、同胞に対して強い身内意識がある一方、一度でも溝が生まれると、日本人同士のそれとは比較にならない程、深い憎しみに変わることがある。
〈それを最も象徴するエピソードが、許氏が「大人のかくれんぼ」と表現する、1997年10月から2年間に及んだ保釈中の失踪劇だ。