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2019.08.06 11:00  週刊ポスト

許永中氏の独占告白 今明かされる「かくれんぼ生活」の実態

韓国で様々な事業を営む許氏

 両事件で計13年の懲役刑が確定した許氏は、2005年に黒羽刑務所(栃木県)に収監されるも、2012年に母国・韓国での服役を希望し、ソウル南部矯導所(刑務所)に移送。翌2013年9月に仮釈放され、いまはソウル市内で家族と暮らしている。

 許氏の存在は、日本の政財界にとって“忘れたい過去”といえるかもしれない。イトマン事件や石橋産業事件では、数々の大物政治家や財界人の関与が取り沙汰された。彼らを繋ぎ、暗躍したとされる許氏に多くの責任をかぶせ、事件に蓋をした側面もある。「すべての事件は、私の“生い立ち”を抜きにして語れない」と語る許氏の言葉には、強い意志がこもる。

 令和という時代を迎えたいま、昭和、平成の犯罪史に残る経済事件、そしてその後の運命について語ることは、「在日として生きた証」を刻み残す自らの使命である──そう前置きして、許氏は語り始めた〉

◆貧困の土地で培われた人脈

 大阪市大淀区中津(現・北区)。私の人生は、この地から始まりました。大阪駅の北側は、今でこそ高層ビル群が建ち並ぶ近代的な街並みですが、かつては広大な貨物駅や場外馬券場が広がる味気のない土地でした。煤けたトタン屋根の木造家屋が密集する。私が生まれた当時、中津はすり鉢の底のような極貧のスラムでした。差別される者たちが肩を寄せ合って生きており、貧しさゆえの悲しみを皆が共有していました。

〈中津の地には、日韓併合後、祖国で職を失って日本に渡って来た在日韓国・朝鮮人が共棲していた。その中には強制的に連行・徴用された人々も少なくなかったという。許氏は敗戦間もない1947年2月24日、7人きょうだいの3男として生まれた〉

 父親は戦前に釜山から日本に渡ってきた在日一世です。母親は無学で文字も読めませんでしたが、生活力に満ち、働き者で逞しい女性でした。

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