◆藤の死の知らせを聞いたとき、前川は…
6年前の8月22日。それはあまりにも突然で、あまりにも衝撃的な訃報だった。早朝の東京・新宿。藤は居住していたマンションの13階から飛び降り、62年の人生に自ら幕を閉じた。
“藤圭子、自殺”この報道に、都内でコンサートのリハーサル中だった前川は耳を疑ったという。
「ショックだったのはもちろんですが、長年、海外生活をされていた藤さんが日本で暮らしていたことも知らなかったので。
ただ、こんなふうにも感じたんです。“ああ、彼女らしいな”と…。“らしいな”というのは不謹慎かもしれません。けれど、どこかで彼女が平穏な老後を送り、布団の上で静かに息を引き取るという姿をイメージできなかった部分もありました」
圧倒的な歌唱力と存在感、儚さと数奇な人生。それらをすべて背負っていたのが、歌手・藤圭子だった。
「だから、強烈なインパクトを残してこの世を去っていったということはとても切ないのですが、彼女らしくもあると感じもしたんです」
前川が藤の曲をライブ会場で歌うようになったのは、4年前から。三回忌を迎える頃、最初に選曲したのが彼女のデビュー曲『新宿の女』だ。「藤圭子という女性には“新宿”の二文字がよく似合います。銀座でもない、六本木でもない、新宿がしっくりくる。そして…終の住処となった場所も新宿でした」
以来、年に1度、藤の歌を歌い続けている。今回、初の収録となった『京都から博多まで』も歌唱した。
実は、この曲にはこんなエピソードが残されている。1980年1月に放送(収録は前年12月)された『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレビ朝日系)で、なんと離婚後7年ぶりに、前川と藤が共演しているのだ。
歌手生活を引退し、海外へと渡る決意をした藤が、芸能界最後の思い出にと熱望し、萩本欽一(78才)の粋な計らいで共演が実現したという。コントでは、藤が萩本家を訪ね、そこへ前川が「後川清」を名乗って登場する。「照れ屋な歌手・前川清の友人として、彼の代わりにバラの花を届ける」という設定だった。
前川がバラの花束を藤に差し出すと、お互い照れくさそうに笑いながら、アドリブまじりのトークを展開。日本を離れ、アメリカという土地で新たに出発をすると表明した藤。そんな彼女を送り出す激励の意味もこめ、前川が歌ったのが『京都から博多まで』だった。初々しくも睦まじい、心の底で信頼し合っているふたりの姿から“もしや復縁?”との噂すら上がったほどだった。