「容子が書き始めて、『あなたも書いてね』とせがまれて、恥ずかしい気持ちもありましたが、私も書くことにしました。照れくささはあるものの、容子の文章を読んでいるうちに、忘れていた記憶がいくつもよみがえってきました。
私たちの学生時代は学生運動が盛んで、授業が休講になることがしょっちゅうありましたが、それがふたりの仲を縮めるきっかけになりました。今のようにパソコンやスマホはありませんから、話したい時には会うしかありません。会った時に何を話そうか、そんなことばかり考えていました。話したいことがありすぎて追いつかないほどでした。私たちは何かあればすぐに話し合って、互いの気持ちを伝え合っていました。振り返ると、あっという間の時間でした。楽しかった思い出も、一瞬のうちに過ぎてしまった気がします」
容子さんを亡くして1年8か月たった今も、英司さんは喪失感を感じている。趣味を再開しようと、ミニチュアドールハウス作りや陶芸などを楽しみながらも、「きっと容子はまだまだやりたいことがあったはず。私ひとりが楽しんでは申し訳ない」という気持ちが湧いてくるという。
「私は、容子が生きてさえいてくれれば、それでよかった。たとえ病院に行った時にベッドで眠っていて私と会話できなくても、生きてさえいてくれればよかった。どんな状況であろうとも、生きていることが私の生きがいであり、幸せでした。
ですから、もし今、お互いを大切にできない人が目の前にいるなら、どうか考え直してほしいと思います。もし、夫婦仲が今ひとつよくない人たちがいるなら、お互いに相手を大切に思っていただきたいと思います。
人が亡くなった後の喪失感がこれほどまでに激しいものだとは、体験するまでわかりませんでした。まるで、自分の半身がなくなってしまうような感覚です。頭ではわかっていても、いざ現実になると悲しくて、切なくて、苦しいものです。
ずっとサラリーマンで過ごしてきた人は、会社が仕事を与えてくれたでしょう。でも、定年退職を迎え、『あぁ自由になった』と思うのもつかの間、いざ時間と向き合えば、どう過ごしていいかわからなくなります。そこへ、最愛の妻の死。心の中にぽっかりとあいてしまった大きな穴がなかなか埋まりません。
高齢化社会の時代、私と同じような体験をされるかたも少なくないと思います。これからは、少しずつ新しいことにチャレンジしながら生きられればいいなぁと思います。
これまでは最良の人と巡り会ったおかげで、素晴らしい人生を過ごすことができました。これからは容子の分まで、精一杯生きていこうと思っています」
※女性セブン2019年11月7・14日号