「工場の煤煙や空気汚染を避けて、ブルジョアジーたちが神戸や芦屋の六甲山麓に移ってしまった。そうして空洞化した大阪中心部には、河内や和泉、さらには九州や四国から続々と労働者が流れ込み、芸能文化も彼らに寄り添うものになっていきました」
かくして人形浄瑠璃に象徴されるたおやかな大阪の芸能文化は、吉本新喜劇に代表される大衆文化に変わった。芸人たちはドサ回りに精を出し、その土地で興行を仕切るヤクザたちとも距離が近くなる。そしてヤクザを利用し、また利用される芸人たちが出てきた。
島田紳助がヤクザの組長との「黒い交際」を理由に引退したのは記憶に新しい。40年以上吉本に所属した大阪在住の漫談家・前田五郎は、本誌『週刊ポスト』(2019年8月16・23日号)でこう告白している。
「1980年代に吉本にいた頃は、週に何回もヤクザから仕事をもらっとった。ヤクザの営業で30万円や50万円のカネがどんどん入ってきて、まさに濡れ手に粟や。中にはギャラ100万円という仕事もあった。当時、会社の仕事とヤクザの仕事は4対6くらいやった」
前出の井上氏が語る。
「メディアの作る“大阪的イメージ”もそうした土壌形成を後押ししたのではないでしょうか。テレビ受けするようにどんどん大阪芸人の言葉がきつくなり、品格がなくなっていきました」
一連の吉本の闇営業問題は、大阪の芸能文化の変質を象徴するものと言えるかもしれない。(文中一部敬称略)
◆構成/竹中明洋(ジャーナリスト)
※週刊ポスト2020年1月17・24日号