もちろん、野村氏も戦後初の三冠王を獲得するなど、現役時代から輝かしい実績を残していたわけだが、同時代に王貞治氏、長嶋茂雄氏という大スターが活躍し、自らを「月見草」と評した。そういうキャリアを歩んだからこそ、見えるものがあるという自負もあったのであろう。
「スター選手は自分が抜群のパフォーマンスをできたから、みんなができると思ってしまう。だから技術指導ができず、言葉より感覚を大切にしてしまう。目の前の試合に一喜一憂して、味方がホームランを打つと、選手と同じようにベンチを飛び出してくる。もちろん、タイムリーが出たり、逆転した場面で、監督の立場として“よし”とは思うが、このあとどう守ろう、どう逃げ切ろう、と先のことのほうがオレは気になるよ」
上田利治氏や森祇晶氏、そして自身の例を挙げながら「日本一監督は捕手出身ばかりだった」という点も強調した。現役時代のポジションによって、指揮官としての素質が大きく変わるというのは、野村氏が何度も指摘したことだった。
「プロ野球の歴史の中で、外野手出身の名監督はいない」と断言。
「(現役時代に)外野手は試合中に考えることがほとんどない。打者によって守備位置を変えるぐらい。それもベンチの指示で動くことが多く、細かいことを考えない。外野手出身の監督は細事小事に目がいかないというのが私の持論だ。
一方、名将とされる三原脩、水原茂、鶴岡一人、川上哲治、西本幸雄は全員が内野手出身。捕手ほど細かいことを見ていないが、横の連絡を取っているので総合的な視野で見られる」
独自の視点と分析力で蓄積したデータをもとにした、野村氏の「教え」の数々―─その礎にあったのは一捕手、一監督としての誇りと野球への深い愛情だった。
※週刊ポスト2020年2月28日・3月6日号