「高齢者ほど脳死を人の死と認めないことに加えて、日本臓器移植ネットワークの人員確保や病院側の整備が進まず、国も消極的なため臓器移植の数が増えません。はっきりいって、日本は欧米諸外国より30年遅れている」
妻を失って半年あまり。身も心も空っぽになりながら、正秋さんは悠子さんの遺志を受け継ぎ、臓器提供のルールの見直しを訴える。
「悠子とぼくは、移植医療に救われました。当事者にとっては、健康で幸せな時間が1分でも1秒でも増えることが大事です。腎臓移植すれば透析がなくなるし、膵臓移植ならインスリンを打たなくてもいい。病気と生きていく者は、そうした些細なことに大きな幸せを感じます。世界一といわれる移植技術を持つ日本だからこそ、ルールを見直して臓器を移植しやすくするべきです」
好きなものを食べるだけ食べ、ただぐっすり眠るだけ──わずか4年という歳月だったが、そうしたささやかな日常を慈しんだからこそ、臓器移植の法整備の必要性を切実に感じているといっていい。前出の元理事もこう述べる。
「たとえ対光反射ができなくても、脳の血流を調べるなど別の方法で総合的に脳死診断することは可能なはずです。現状のルールでは白内障が悪化した患者や交通事故などで眼球を損傷した患者も脳死と診断できず、臓器移植の推進の妨げとなっています」
国の移植医療を司る厚労省はどう考えているのだろうか。
「目のほか、耳の障害でも脳死判定ができないのではないかとの意見もあります。ですが、脳死判定のやり方を見直すことは“死の基準”を見直すことにつながり、慎重な医学的議論が必要です。現時点では、医療従事者や学会などから脳死判定の見直しの具体的な意見は聞いておらず、見直しに向けた動きはありません」(厚労省・移植医療対策推進室の担当者)
悠子さんと出会い、正秋さんは数多くの視覚障害者と知り合い、ともに語り合うことも増えた。多くの人の思いを胸に、あらためてこう訴える。
「視覚障害のかたがたは普段の生活で肩身の狭い思いをしながら、一方で、自分たちも世の中のために貢献したいと願っている。そうした人々が誰かの役に立つ権利を奪われるのは、どう考えても理不尽です。ルールを見直すことで移植医療が前進し、臓器を与える人と、受け取る人が少しでも幸せな日常生活を送ってほしい」
悠子さんが命がけで夫の正秋さんに託したバトンを、今度は私たちがつないでいくときがきた。
※女性セブン2020年3月5日号