脳死とは、脳の全機能が失われて決して元へは戻らない状態をいう。どんな治療をしても回復することはなく、やがて心停止にいたる。日本では、死後の臓器提供を行う場合、臓器移植法に基づいた脳死判定が求められる。その判定要件の1つが、瞳孔に光を当てて反応を調べる「対光反射」だ。脳死判定の手順を示した「法的脳死判定マニュアル」には、眼球や角膜の高度損傷や欠損がある場合、「当面の間は法的脳死判定を行わない」と記載されている。
失明した悠子さんは瞳孔が機能せず、臓器移植をする際のマニュアルに定められた脳死判定が行えないため、臓器を移植できない―こうした説明が主治医から告げられた。正秋さんには到底受け入れられるものではなかった。
「たとえ失明していてもほかの方法で脳死判定ができるはずです。最初から失明者を除外するような規則は、あってはならない。何度も食い下がりましたし、病院側も厚生労働省などに掛け合ってくれたのですが、移植は実現しませんでした」
自らの臓器を人に譲る望みは叶わず、緊急搬送されてから3週間後の2019年8月1日、悠子さんの心臓は停止した。
「いままでよく頑張った」
正秋さんは涙ながらに妻を見送るしかなかった。
日本の臓器移植は世界に後れをとっている。1997年に臓器移植法が施行されたが、人口100万人あたりの臓器提供数(2018年)は、スペインの年間48人に対して、日本は0.88人。50分の1程度に過ぎない。
臓器移植による健康回復を望み、日本臓器移植ネットワークに登録して待機する人は約1万4037人だが、死後の提供で移植を受けられる人は、眼球をのぞくと年480人と、3%しかいない。日本で臓器移植が進まない理由について、日本臓器移植ネットワークの元理事の1人はこう述べる。