◆バカ正直に守った方が損
よっちゃんにとって一番大事なのは人間関係の徹底だという。その辺はよっちゃんの才覚というべきか。確かに自由で気楽な場所だ。
「この辺は工場も多いし、水商売の人も多い。新宿や池袋ほどじゃないけど漫画になったくらい呑んだくれの多い街さ」
確かに同じような小さな呑み屋がこの辺には多い。昔、印刷工場に出張校正などもしたことがあるのでよく知っている。地価も家賃も東京にしては安く、23区内のターミナル駅ながら工場と住宅街、山の上の団地などのおかげで下町気質も残り、人の関係が濃密だ。そして店内もまさに三密だ。
よっちゃんは国や都なんてまったく信用していない。非正規を転々として、1990年代のブラック企業がのさばった時代を肌身で知っている。考えられない仕打ちと労働条件がまかり通っていたのが1990年代の非正規労働だった。
「バカ正直に守ったほうが損なの」
ところでよっちゃん、言葉の端々にバカとつく。バカ単体でも店内でよく使う。なんだかホリエモンみたいだが、こういう悪言家は本人のキャラクターによっては一定数のファンがつく。みんなに好かれる必要はない、小さなお店の店主にはよくあるパターンだ。
「うちみたいな小さいとこに規制はないからね。ましてこの辺でバカ正直に守ってるのなんて大手チェーンくらいでしょ。客が誰も来ないなら店閉めるけど、来るんだから閉めないよ。補償金?そんなの当てにしてたらコロナ以前に死んじゃうよ。それに休業補償だ協力金だなんてお上の金、それこそうちみたいな小さな居酒屋には関係ないでしょ。バカ正直に守ったほうが損さ」
2000年代には派遣バイトも経験したよっちゃん、今では考えられないほどの人権無視が当たり前、そんな失われた20年を新自由主義の名の下に許した国を彼は信じていない。いや、この酒場の多くは同世代が多いが、彼らもまた国を信用していない。
「自分の身は自分で守るよ。誰が何してくれるわけじゃないのはわかってるし」
タクシー運転手だという男性が話に割り込んで来る。一日走っても一万円いかない日が続き、ついに交代で休業を取ることになったという。
「何百人もクビ切られたとこよりはマシだけど、たぶんおんなじ目に合うと考えると不安だよ」