「実は、3人が揃って1年間、活躍したシーズンはほとんどありません。3人とも2ケタ勝利を挙げたのは1989年、1992年、1994年の3度だけです。このうち、2度は優勝しています。
ただし、1989年はオールスター直後に槙原がケガで離脱。1992年は桑田がチームの10連勝や7連勝を止めてしまい、連勝ストッパーと呼ばれるほど絶不調に。槙原も優勝争いの9月、10月で1勝もできず、チームは2位に終わりました。1994年は3人ともシーズンを通して働き、中日との最終戦、同率首位決戦で槙原・斎藤・桑田のリレーで勝った。この年、“三本柱”の印象が強くなったのだと思います」
優勝した1990年は槙原がケガで戦列を離れており、4位に沈んだ1991年は前年まで2年連続20勝の斎藤が9勝に終わった。1993年はリーグ最下位のチーム打率2割3分8厘という打線の不振もあり、斎藤と桑田が1ケタ勝利に。1995年5月には桑田がヒジを痛め、翌シーズンまで棒に振った。
「広島との11.5ゲーム差をひっくり返した1996年は、桑田だけでなく槙原も夏場に離脱しています。この年は斎藤とガルベスが16勝で最多勝を分け合い、“メークドラマ”を達成した。1997年の開幕戦で、斎藤がヤクルトの小早川毅彦に3連発を打たれ、このシーズンから全盛期ほどの活躍はできなくなります。翌年は斎藤10勝、桑田16勝でしたが、槙原はシーズン途中から抑えに回った。3人が先発ローテーションに入っていたのは、この年の中盤までです」
3人同時に活躍したシーズンが少なかったとはいえ、1989年から1998年までの11年間で見ると、2ケタ勝利は斎藤が8回、桑田が7回、槙原が6回。3人同時の2ケタ勝利は前述のように3回、2人同時は5回、1人だけは2回。少なくとも三本柱のうち、1人はエースの役割を果たしていたのだ。この10年で、巨人のBクラスは2回のみ。甲乙つけがたい“エース級”が3人いたことで、大崩れしなかった。