彼らを肯定しないと、自分の未来を肯定できない
──独居老人の「生」を撮ると決めてから、写真の撮り方は変わりましたか。
福島:弁当を届けて写真を撮るという、やっていること自体は変わらないんですが、僕自身の姿勢が変わったので、場の空気が変わりました。ベッドからずり落ちている老人を見ると、以前だったら「かわいそう」「助けなきゃ」だったのが、「こんな状況で食べるってすごい」になる。おじいちゃん、おばあちゃんたちを肯定できるようになったことで、いい空気の中で撮影できるようになったと思います。
──ゴミだらけの部屋で弁当に食らいつく姿をどう見るか。見る側の環境や経済状況によって、感想は大きく変わってくるでしょうが、日本社会に独り暮らしの老人は増えていくわけで、多くの人にとって他人事ではない現実、あるいは未来だと思いました。
福島:彼らを肯定しないと、自分を肯定できないと僕は思っています。僕もいつかこうなる、「自分の未来の姿」だと思っているので、心身のコントロールを失いながらも食べることの凄さ。その一点だけでも、肯定したい。
今回の僕の写真は、どちらかというと海外の人に評価され、今回、写真集にすることができました。日本は見たくないものに蓋をしたり隠そうとする文化がありますが、直視して認めた上で、何をすべきか、何が必要なのかを考えていくほうがいいと僕は思っています。
──高齢化に伴う様々な問題を考えさせられましたが、同時に、独居老人予備軍として、たくましく生きていかねば、という気持ちにもさせられました。
福島:仕事中、「死にたい」という言葉を何度聞いたかわかりません。それでも彼らは、お弁当を食べるんです。それってなんなんだろうって。人間ってこんなにしぶといものなのかって。生きることは最後まで過酷だけど、だからこその、生きることの凄みみたいなものを、教えてもらいました。僕は彼らの姿を美しいと思っています。綺麗な花も美しいけれど、独りで弁当を食べる老人も美しい。僕にとって写真は情報ではなく、感動の集積です。これからも人間が泥臭く、力強く生きる姿を撮り続けたいと思っています。