かつては雅子さまと手つなぎで登校されていたこともあった愛子さま
愛子さまの子供が即位する
昨年12月、安定的な皇位継承策などを議論する政府の有識者会議によって最終報告書がまとめられた。報告書は、天皇陛下から、秋篠宮さま、秋篠宮家の長男・悠仁さまという皇位継承の流れを「ゆるがせにしてはならない」とした上で、「内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持する」ことや「皇族には認められていない養子縁組を可能とし、皇統に属する男系の男子を皇族とする」ことなどの方策を示した。「皇統に属する男系の男子」とは、具体的には戦後皇籍を離脱した、いわゆる「旧11宮家」を指している。
愛子さまは、この報告書が提出される直前に20才を迎えられた。成年皇族の仲間入りを果たされたが、公に活躍されるお姿を見る機会はほとんどない。
「万が一、両陛下を新型コロナに感染させることがあってはならないと、大学の講義はすべてオンラインで受講されています。また、学業優先の方針のため、公務へのお出ましもありません。6月には、雅子さまと天皇陛下とご一緒に御養蚕をされたそうですが、その写真や映像は公開されていないため、成年会見以降、愛子さまのお姿を拝見できていません」(前出・皇室ジャーナリスト)
現状の皇室典範では、愛子さまは女性皇族であるため、即位の可能性はない。一方、悠仁さまの“次”への議論もまた不透明だった。だが、今年1月18日、与野党の代表者が衆院議長公邸で最終報告書についての説明を受けた場で、風向きが変わり始めた。公開された議事録によると、養子縁組で皇籍復帰した旧皇族の男系男子に子供が生まれた場合、「その子は皇位継承資格を持つ」と認めるようなやりとりがあったのだ。
すなわち、仮に愛子さまが旧皇族の男系男子と結婚し子供が生まれれば、その子は皇位継承権を持つ。そして、将来即位することになれば愛子さまは「天皇の母」になられるということだ。
「成年行事で天皇家の長子としての堂々たる振る舞いを見せられて以降、愛子さま人気は目ざましいものがあります。そんな愛子さまのお子さまであれば、国民は好意的に捉えるのは明白です。実際に、愛子さまのご結婚相手の候補として、旧皇族の同年代の男性が候補に挙がっているようです」(別の皇室記者)
民間人でも皇族と深く交流
旧皇族とは、戦後に皇籍離脱をし、民間人として生活することになった11宮家51人の皇族と、その子孫のことを指す。この11の旧宮家の「宗家」が旧伏見宮家だ。伏見宮家はいまから約600年前の室町時代に創設され、閑院宮家や梨本宮家、竹田宮家など旧宮家はすべて伏見宮家から枝分かれした。旧伏見宮家も以来連綿と受け継がれ、第24代にあたる現当主は伏見博明氏だ。
伏見氏は今年1月、口述をもとにした回顧録『旧皇族の宗家・伏見宮家に生まれて』(中央公論新社、以下《 》内は同書より引用)を出版した。
「ちょうど、有識者会議の最終報告書が提出された直後のことだったので、大いに注目されました。旧皇族の本音を知ることができる貴重な資料です。伏見氏は6月28日の朝日新聞のインタビューで、同書を美智子さまに送ったところ『とても興味深く読みました。結婚前の上皇さまの生活がよくわかりました』というお礼の電話を受けたと明かしています」(前出・皇室記者)
伏見氏は1932年生まれの90才。伏見宮家の長男・博明王として誕生した。上皇陛下は、伏見氏の2学年下で、幼い頃はよく一緒に遊び、また、1945年にはともに日光に疎開し、終戦まで過ごしたという。伏見氏は当時を《年長のわれわれが年少の皇太子さまをお守りするということだったのではないでしょうか》《僕は子どもだし、勝手なことばかり言っているから、皇太子さまにとってはかえって面白かったのかもしれません》と振り返っている。