ご家族で神宮球場を訪れた(2009年7月、東京・新宿区。時事通信フォト)
その折、内川選手はサイン入りバットを愛子さまにプレゼント。そのバットで、愛子さまはバッティング練習に励まれたこともあったという。
愛子さまにとって神宮球場はなじみの場所でもある。
「ヤクルトスワローズが本拠地としている神宮球場は、愛子さまがかつてお住まいだった赤坂御用地からは目と鼻の先のところにあり、にぎやかな歓声が聞こえるほどでした。試合中に上がる花火を愛子さまはとても楽しみにされていたそうです。高校時代には、高校野球の応援に足を運ばれたこともあります」(別の宮内庁関係者)
愛子さまでも入手困難
愛子さまにとって、ヤクルト1000は「日頃の健康習慣」なのだろう。
「ご自身が好まれていることもありますが、快眠効果と聞いて、雅子さまにおすすめになったこともあったといいます」(前出・宮内庁関係者)
天皇陛下の即位と同時に、皇后になられた雅子さま。それ以前から、雅子さまは長い療養のトンネルの中にいらっしゃる。そうしたお姿を、愛子さまは幼い頃から間近でご覧になってきた。
「常にご自身の体と相談しながら、皇后としての務めを果たそうとされています。ただ、以前はご体調がどうしても整わず、公務へのお出ましがままならない時期も長く続きました。ご体調が“底”だった頃には、昼夜が逆転した生活リズムだったこともあった。夜なかなか眠れず、それが原因で、朝起きられない。朝の食卓は陛下と愛子さまの2人きりということが続いた。
愛子さまは大好きな雅子さまが食欲を失い、元気もないことを子供ながらに心配されていたはずです」(皇室ジャーナリスト)
愛子さまのそうした気遣いは、幼少の頃から見られていた。皇室取材を続ける放送作家のつげのり子さんは、雅子さまのスケートコーチからこんな話を聞いていた。
「雅子さまが、まだ5才だった愛子さまをスケートリンクにお連れになったことがありました。最初は揃ってスケートを楽しまれていたのですが、雅子さまはお疲れになったのか、リンクサイドでお休みに。すると愛子さまも滑るのをやめ、雅子さまに寄り添われたのです」
愛子さまもまた、雅子さまに支えられてきた。小学生の頃、不登校が続いた時期には連日のように雅子さまが登校に付き添い、教室で見守られることもあった。
「幼いながらも聡明な愛子さまは、自分を大切に思ってくれる母親が自分に付き添うことが、皇太子妃としての公務に影響を与えていると気づいておられたはずです」(前出・皇室ジャーナリスト)