ご公務の本格始動で国内外から注目が集まる(2018年9月、東京・港区。写真/JMPA)
皇嗣ご夫妻として格式高く
紀子さまは、“前任者”である雅子さまが築かれた格式を、しっかり受け継がれようとされているのだろう。
「1990年のご結婚当時、紀子さまは“3LDKのプリンセス”として世間の注目を一身に集めました。その後、1993年に雅子さまが皇太子妃として皇室に嫁がれると、世間の関心は一気に雅子さまへとシフトしました」(皇室記者)
長い療養生活に入られた雅子さまの一方、紀子さまは筆頭宮家の妃として、さまざまな公務を担われた。
「すべてにおいて上皇后美智子さまを手本とされ、天皇家のよき嫁として完璧に振る舞われました。皇位継承権をもつ男子を出産したことで、紀子さまはより自信を深められたようでした」(前出・皇室記者)
しかし、そうした積み重ねがあっても、長女・眞子さんの結婚を巡る一連の騒動が起きてしまう。さらに、悠仁さまの高校進学を巡っても、一般の受験生とは異なる特別な制度を使っての「特別扱い」といった声が上がり、過去に表彰された作文の「コピペ問題」が取り沙汰されるなど、秋篠宮家には逆風が吹き荒れたままだ。いま皇室を代表するのは名実ともに雅子さまだ。国内外からの視線はまっさきに雅子さまに注がれる。
「皇后と皇嗣妃の立場には大きな違いがありますが、紀子さまは“雅子さまには負けられない”というお気持ちでご自身の存在感を高め、皇室全体を盛り上げ、支えていきたいというお気持ちなのではないでしょうか。
その1つの方策が、旧・東宮御所での両陛下のなさりようと同様に、皇嗣ご夫妻として格式高くあられるための、秋篠宮邸の“こだわり”だったように感じられるのです」(前出・宮内庁関係者)
“皇太子・悠仁さま”への内外からの見方
将来、秋篠宮さまが天皇に即位されれば、ご夫妻は皇居の御所に移り住まれることになる。そうなれば、改修された秋篠宮邸は、皇太子となられた悠仁さまの「東宮御所」へと名前を変える。
「紀子さまの最大の関心事は、悠仁さまを将来の天皇として立派に育て上げることです。引っ越しが終われば、大学受験に向けた勉強にもしっかり取り組めるとお考えでしょう。悠仁さまの東大進学が、紀子さまの悲願ともいわれています」(前出・皇室記者)
さらにその先、悠仁さまが皇太子となられたときには当然、皇太子としての務めを悠仁さまが担われることになる。
「その折、紀子さまのこだわりが、悠仁さまの“皇太子としての格式”にも効果を発揮するわけです」(前出・皇室ジャーナリスト)