エルドアン大統領夫妻の来日時は、着物でおもてなしされた(2019年7月、東京・千代田区。写真/JMPA)
「控えるところは控えなければ」
なぜ、お考えの差異が生じてしまうのか。前述した秋篠宮家への逆風以外にも理由はありそうだ。
「陛下は生まれたときからいずれは天皇になるべくして育てられていますから、自分は常に公の存在だというご自覚があります。一方で、秋篠宮さまは“自分は天皇にはならない”と思われてきた。それゆえ、公私は区別すべきだとお考えなのでしょう」(前出・別の宮内庁関係者)
そうした価値観の相違は、家庭観にも見受けられる。
「上皇ご夫妻は、子供の成長を国民に知らせることが必要だとたびたび発言されており、その通りにされてきました。陛下はその意味するところを理解され、皇太子時代から、可能な限り国民にとって身近な存在であろうとされてきました。愛子さまの成長も、運動会などのイベントを通じて事細かに発信しようとされてきました。登校拒否や激やせなど心配ごともありましたが、国民は親のような目線で愛子さまの成長を見守ってきました」(前出・別の宮内庁関係者)
一方、将来の天皇である悠仁さまの高校生活の様子は、ほとんど聞こえてこない。
「秋篠宮ご夫妻の公務に同行される機会などはありますが、どうしても『私』の部分は見えにくい印象があります。もちろん、“自分たちはあくまで皇嗣家であり、控えるところは控えなければならない”という秋篠宮さまの天皇ご一家への配慮もあるのでしょうが……」(前出・別の宮内庁関係者)
SNSの発展は、気軽にコミュニケーションが取れるようになった一方で、人間的なやりとりを希薄にしたという功罪が指摘されている。せめて皇室SNSは、“功”の側面で国民と皇室をつないでくれることを願ってやまない。
※女性セブン2023年3月16日号