ライフ

【逆説の日本史】『昭和維新の歌』に込められた侵略国家へと突き進む「思想」

作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』(イメージ)

作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』(イメージ)

 ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第十一話「大日本帝国の確立VI」、「国際連盟への道4 最終回」をお届けする(第1386回)。

 * * *
 現役の海軍将校が拳銃で丸腰の犬養毅首相を問答無用で射殺した五・一五事件。このきわめて卑劣なテロについて歴史を探求する者がもっとも注目しなければならないのは、百万を超える「犯人たちへの減刑嘆願書」が寄せられたことだろう。この罪状では死刑は確実だから、「減刑嘆願」とはじつは「助命嘆願」つまり「死刑にするな」という請願であったことに注目する必要がある。その嘆願書はもちろん国民が自発的に送ったもので、社会的な強制は一切無かった。「たしか、血書で書かれたものもあったと記憶している」と前回私は記述したが、あらためて確認するとそれどころではなかった。

〈五・一五事件発生後の国民感情は、またさらに大きな渦の中に巻き込まれる。それは事件の実行犯への国民の熱烈な助命嘆願が澎湃として日本全国にひろがった。彼らを救国の英雄とまで祀り上げ、自らの小指を封筒に入れて助命を乞う者まで現われた。このように犬養暗殺の行動を支えた民衆の力を忘れてはならない。〉
(『犬養毅 党派に殉ぜず、国家に殉ず』小林惟司著 ミネルヴァ書房刊)

 国民が政党を見放し犬養暗殺を支持したのは、新聞の扇動もあるが政党自体も腐敗堕落していたからであった。いわゆる大正デモクラシーの歴史は、じつは「政党腐敗堕落史」でもある。それが、昭和になっても解消されるどころかますますひどくなったのだが、そうした汚職政治とはあきらかに一線を画していた政党政治最後のエース犬養毅まで、とばっちりを食って暗殺されてしまったわけだ。この時代背景を分析した前掲書著者の小林惟司は、次のように指摘している。

〈犬養の暗殺犯は海軍中尉らの軍人であるが、間接的に葬ったのは当時の日本の民衆である。それは世論という形で表われた。当時の日本の世論は、満洲国の即時承認を強く要求していた。その先頭に立ったのはマスメディア、とりわけ新聞だった。

 満州や中国への侵略は軍閥・官僚だけが侵略を推進したのではなく、それと併せて日清戦争の頃から国民の間に徐々に浸透してきた東洋人蔑視の感情があったことは見逃せない。当時は幼い少年までが中国人を蔑称で呼んだりしていた。中国への無知無関心という根深い心理的基盤がなかったら、中国への侵略はやすやすと実行されなかったであろう。(中略)それゆえ、すべてを「支配階級」の罪にして済ますことができるであろうか。一国の政治は、国民性やその時代の国民感情の反映である。民衆も責任を逃れることはできない。〉(引用前掲書)

 この「犬養暗殺を正義」と考える世論、それはその犯人の助命嘆願書に自分の小指を切断して入れるほどの熱烈なものだったが、そうした熱烈な感情も、また根深い「東洋人蔑視の感情」も一朝一夕で国民に浸透するはずがないことはおわかりだろう。「千里の道も一歩から」と言うように、物事には必ず始まりというものがある。「東洋人蔑視の感情」つまり中国人と朝鮮人に対する蔑視は、たしかに日清戦争のころからすでに醸成されていたが、「犬養暗殺を正義」とする世論の第一歩は、おわかりだろう、一九一三年(大正2)の山本権兵衛内閣下における外務省阿部守太郎政策局長暗殺事件なのである。

関連キーワード

関連記事

トピックス

オールスターゲーム前のレッドカーペットに大谷翔平とともに登場。夫・翔平の横で際立つ特注ドレス(2025年7月15日)。写真=AP/アフロ
大谷真美子さん、米国生活2年目で洗練されたファッションセンス 眉毛サロン通いも? 高級ブランドの特注ドレスからファストファッションのジャケットまで着こなし【スタイリストが分析】
週刊ポスト
10月16日午前、40代の女性歌手が何者かに襲われた。”黒づくめ”の格好をした犯人は現在も逃走を続けている
《ポスターに謎の“バツ印”》「『キャー』と悲鳴が…」「現場にドバッと血のあと」ライブハウス開店待ちの女性シンガーを “黒づくめの男”が襲撃 状況証拠が示唆する犯行の計画性
NEWSポストセブン
全国でクマによる被害が相次いでいる(右の写真はサンプルです)
「熊に喰い尽くされ、骨がむき出しに」「大声をあげても襲ってくる」ベテラン猟師をも襲うクマの“驚くべき高知能”《昭和・平成“人食い熊”事件から学ぶクマ対策》
NEWSポストセブン
公金還流疑惑がさらに発覚(藤田文武・日本維新の会共同代表/時事通信フォト)
《新たな公金還流疑惑》「維新の会」大阪市議のデザイン会社に藤田文武・共同代表ら議員が総額984万円発注 藤田氏側は「適法だが今後は発注しない」と回答
週刊ポスト
初代優勝者がつくったカクテル『鳳鳴(ほうめい)』。SUNTORY WORLD WHISKY「碧Ao」(右)をベースに日本の春を象徴する桜を使用したリキュール「KANADE〈奏〉桜」などが使われている
《“バーテンダーNo.1”が決まる》『サントリー ザ・バーテンダーアワード2025』に込められた未来へ続く「洋酒文化伝承」にかける思い
NEWSポストセブン
“反日暴言ネット投稿”で注目を集める中国駐大阪総領事
「汚い首は斬ってやる」発言の中国総領事のSNS暴言癖 かつては民主化運動にも参加したリベラル派が40代でタカ派の戦狼外交官に転向 “柔軟な外交官”の評判も
週刊ポスト
黒島結菜(事務所HPより)
《いまだ続く朝ドラの影響》黒島結菜、3年ぶりドラマ復帰 苦境に立たされる今、求められる『ちむどんどん』のイメージ払拭と演技の課題 
NEWSポストセブン
超音波スカルプケアデバイスの「ソノリプロ」。強気の「90日間返金保証」の秘密とは──
超音波スカルプケアデバイス「ソノリプロ」開発者が明かす強気の「90日間全額返金保証」をつけられる理由とは《頭皮の気になる部分をケア》
NEWSポストセブン
公職上の不正行為および別の刑務所へ非合法の薬物を持ち込んだ罪で有罪評決を受けたイザベル・デール被告(23)(Facebookより)
「私だけを欲しがってるの知ってる」「ammaazzzeeeingggggg」英・囚人2名と“コッソリ関係”した美人刑務官(23)が有罪、監獄で繰り広げられた“愛憎劇”【全英がザワついた事件に決着】
NEWSポストセブン
三田寛子(時事通信フォト)
「あの嫁は何なんだ」「坊っちゃんが可哀想」三田寛子が過ごした苦労続きの新婚時代…新妻・能條愛未を“全力サポート”する理由
NEWSポストセブン
大相撲九州場所
九州場所「17年連続15日皆勤」の溜席の博多美人はなぜ通い続けられるのか 身支度は大変だが「江戸時代にタイムトリップしているような気持ちになれる」と語る
NEWSポストセブン
「週刊ポスト」本日発売! 高市首相「12.26靖国電撃参拝」極秘プランほか
「週刊ポスト」本日発売! 高市首相「12.26靖国電撃参拝」極秘プランほか
NEWSポストセブン