かつて「紙の百科事典」しかなかったころ、評論家の山本夏彦は「教育勅語という項目を引くと批判はさんざん載っているが、肝心の内容についての解説が無い」と批判していた。それにくらべれば、インターネット上の百科事典はさまざまな問題はあるものの必ず本体の解説があるのは評価できる。本当にそんなことがあったのかと思われる方もいるかもしれないが、納得できないとおっしゃるなら、たとえばこの『青年日本の歌』を古い百科事典で引いてみるといい、内容の解説どころか項目すらないのが珍しくない。
そういうことなので、幼い少年までとは言わないが戦前の日本人なら誰もが知っていたと言っても過言では無い『昭和維新の歌』の内容をちょっと解説しよう。ちょっとというのは、この歌が作られたのは昭和に入ってからだから、大正二年の歴史を語っている現在取り扱うのは早すぎるからだ。しかしそれでも紹介するのは、この阿部守太郎暗殺事件を「誘発」し、その後マスコミつまり新聞の扇動によって大きく育てられた「思想」がエッセンスのように盛り込まれているからである。全部で十番まであるが、とりあえず「昭和維新」という言葉が出てくる四番までを引用すると次のようになる。
〈一、
汨羅の淵に波騒ぎ
巫山の雲は乱れ飛ぶ
混濁の世に我立てば
義憤に燃えて血潮湧く
二、
権門上に傲れども
国を憂うる誠なし
財閥富を誇れども
社稷を思う心なし
三、
嗚呼人栄え国亡ぶ
盲ひたる民世に踊る
治乱興亡夢に似て
世は一局の碁なりけり
四、
昭和維新の春の空
正義に結ぶ益良夫が
胸裡百万兵足りて
散るや万朶の桜花〉
汨羅というのは、中国戦国時代の楚の愛国詩人屈原が投身自殺した川の名である。政治家でもあった彼は最初は王に信任されたが、のちに中国を統一する秦と戦うべきだという進言が退けられ流罪となり、秦によって滅亡に追い込まれていく祖国を見るに見かねて自ら命を絶った。つまり、いまの日本も亡国の危機にあるとこの歌はまず訴えているわけである。
「巫山の雲は乱れ飛ぶ」についてはさまざまな解釈があるが、この中国に実在する山は太陽の光を遮るほどの高山だから、アマテラスという太陽神の子孫である天皇が治める大日本帝国の「威光」が、さまざまな「雲」(そのなかには中国そのものも含まれている)によっていま邪魔されている、という解釈を私はしている。だからこそいまは「混濁の世」なのであり、男子たるもの義憤をもって立ち上がらなければならないのである。