また、ドイツはいまでもサッカーが盛んな国だが、彼らが帰国するにあたってドイツ人捕虜(元捕虜と言うべきかもしれないが)選抜チームと日本人学生の選抜チームとの親善試合が行なわれた。ひょっとすると、日本初のサッカー国際親善試合かもしれない。それは一九一九年(大正8)一月二十六日のことで、試合の場所は当時の広島高等師範学校のグラウンドだった。
〈対戦したのは広島高等師範学校、広島県立師範、高等師範付属中、広島一中の生徒たちの合同チームと、似島収容所のドイツ兵俘虜たちだった。二試合行った試合の結果は、ドイツ兵俘虜チームの圧倒的な勝利で、日本の学生チームは一度もボールをゴールに入れることが出来なかった。〉
(引用前掲書)
ちなみに、似島収容所とは広島湾内の似島にあった捕虜収容所である。また、少し遅れて名古屋でも名古屋収容所の選抜チームと第八高等学校や明倫中学の生徒および卒業生の選抜チームが対戦した。これは日本対ドイツでは無く、双方が黒組と白組にメンバーを送り、混成チーム同士で対戦したものらしい。
スポーツと言えば、ワンダーフォーゲルをご存じだろうか。特殊な登山用具は使わずにいわば山歩きをするスポーツで筆者も愛好者の一人だが、『青島から来た兵士たち』では、このワンダーフォーゲルの創始者であるカール・フィッシャーも捕虜の一人だったと述べている。彼は無事ドイツに帰国した。
帰国せずに日本女性と結婚し、あるいは日本に永住して商売を始めた人間もいる。青島の捕虜は突然召集された根っからの軍人では無い人々が多かったからでもあるが、そのなかでカール・ユーハイムという菓子マイスターの生涯を紹介しておこう。
〈解放後は「明治屋」の菓子職人として月給三〇〇円の高給で迎えられ、やがて横浜でドイツ菓子店を開いた。関東大震災後は神戸に移ってドイツ菓子店「ユーハイム」を開業、バウムクーヘンで名を知られた。青島で生まれた一人息子は第二次大戦に従軍して、ウィーン郊外で戦死した。昭和二〇年(一九四五年)六月五日の神戸空襲で店は瓦解し、失意の内に八月一四日六甲ホテルで死去した。戦後店は再建され、妻エリーゼ(一八九二~一九七一)の奮闘によって発展し、現在もドイツ菓子の名店として広く知られている。〉
(引用前掲書)
まさに波乱万丈のドラマである。
(第1404回に続く)
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2024年1月1・5日号