「西城秀樹さんが『バイラモス』という歌で出場していたんですが、それについて勘九郎さんから相談された。“バイアグラっていったらどうしよう?”って真顔で聞いてくるんですよ(笑い)。ちょうどその薬が社会的な話題になった年でしたしね。だから私は“バイ”で切りましょう。バイ、で一呼吸置いて、ラモスかアグラか考えましょう! と話しました。本番では、絶妙の間で魔物を撃退できました」
宮本氏は「司会はあくまで“額縁”」と言い切る。
「歌手の皆さんという素晴らしい“絵”を引き立たせる役です。そして総合司会の大事な役目はもう一つある。エンディングで、次の『ゆく年くる年』までの3分40秒をいかにうまく繋ぐかです。今でも紅白を見ると現場の緊張が手に取るようにわかる。当時を思い出して息が苦しくなっちゃいます(笑い)」
【※注】「ミソラ発言」「仮面ライダー紹介」/第35回(1984年)、総合司会の生方恵一氏が同紅白でラストステージを公言していた都はるみに対し、「ミソラ…」と言い間違える。「仮面ライダー」は第37回(1986年)。少年隊の『仮面舞踏会』を加山雄三が言い間違えて紹介した。
◆みやもと・りゅうじ/1950年、福岡県生まれ。1973年、慶應義塾大学卒業後NHK入局。1995年~2000年まで6年連続で紅白歌合戦の総合司会を務めた。2007年4月からフリーとして活動中。
●文・石山裕(ジャーナリスト)
※週刊ポスト2014年12月26日号